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(回答先: 見出しを『この「超陰謀」とやらには、「ナチ」の次に「シオニスト」は書いてないのでしょうか』に変更(本文なし) 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 03 日 23:41:10)
引用した文章でもおわかりかと思いますが、この本の著者は「ホロコースト」は認めていると思います。
しかし、ただその一点を除けば、バルセロナより愛を込めてさんとけっこう世の中に対する考えかたなどを同じくする人であるように思います。
たとえば、同じ著書で彼はこう書いています。
《幾つか陰謀があったという程度なら平均的な人でも受け入れることができるだろう。だが数百件にも及ぶ数の陰謀があったとする考え方は受け入れにくい。それにしても前提条件だけは存在するのだ。人々が殺されていくし、彼らの死が政治的変化に結び付いていく。多くの人々の犠牲をよそに、こうした政治的変化は小数の人々に利益をもたらしている。そうした死の多くには不透明な状況がついてまわる。このような前提事実から導き出せる結論は、ここまでなら信じられるという敷居を越える場合がしばしばなのである。》
《「公式見解」がかもし出す現実味の欠如のせいで消化不良はつのるばかりになる。暴力、殺人、戦争、そしてテロが過去30年間アメリカの社会的および政治的秩序を作り変えてきたのが現実である。
何かがひどく間違っているのだ。それが何なのかを問いかけたからといって責められるのは絶対おかしい。》(引用以上)
社会心理学者のエーリッヒ・フロムはユダヤ人で、20代の初めにシオ二ズムからは離反しました。彼はシオニズム青年運動のKJV(ユダヤ組合連合)で、「わたしをエーリッヒ・フロムにして下さい。そして天国に行かせて下さい」と皆から祈られたほど信心深いシオニストの青年だったのですが、シオニズムはナショナリズムが育つのによい土壌であり、そのナショナリズムなるものは、ユダヤ教のヒューマニズム的解釈とは対立するものである、と彼は考えたのです。
ユダヤのなかでは少数派だったシオニストが、今のように多数派となった背景には第二次大戦での「ホロコースト」があったといいます。その意味では現在のシオニズムは「ホロコースト」と分けて考えられるものではないかもしれません。しかし、ユダヤ人のなかですら既に「アウシュビッツは政治的論拠としては乱用されすぎており、したがって遅かれ早かれ効果がなくなる」と述べる人もおり、イスラエルのパレスチナに対する暴虐では「イスラエルはナチスと同じ」という言葉が世界のあちこちで言われるようになってこれも既に久しいのです。そもそもパレスチナ問題で「ホロコースト」のことを考える人が現在いったい如何程いるのでしょうか。「ホロコースト」を認める人も、今のイスラエルのパレスチナに対する行為には厳しい批判をしています。「ホロコーストがあったから」と”肯定的”に考える人などはほとんどいないのではないのでしょうか?
「ホロコースト」が嘘だとしたら確かにそれは修正されなければならないものでしょう。しかし、たとえば、今回のNHK問題で高橋哲哉氏を木村氏が「シオニストの手先」だと罵ったのに始まり( http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/782.html
)、挙句は数人がかりで長井氏の内部告発や朝日の記事をシオニストの陰謀としてしまうなど、むちゃくちゃなのでは?シオニズムはES細胞のようなものなのですか。
これでは「ホロコーストは嘘」という文字を見ただけで敬遠する人が増えこそすれ減ることはないのではないでしょうか。また、今度のアメリカのイラク攻撃がイスラエルの代理戦争の側面があるというようなことを言っても「またユダヤ陰謀論か!」で終わりにされてしまうことにもつながってゆくのではないでしょうか。