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都会の死角
回転扉事故初公判
春休みを利用し、大阪から東京・六本木ヒルズを訪れた溝川涼君が自動回転扉に頭を挟まれ、わずか六歳の命を絶たれた悲劇から一年三カ月。東京地裁で二十四日、業務上過失致死罪に問われた森ビル元常務ら三人の初公判が開かれた。検察側は最先端のビルのデザイン面の「見栄え」を重視し、事故対策を二の次にした三人を激しく糾弾。批判の矛先は、トップの森ビル社長にも向かった。
■冒頭陳述から
検察側の冒頭陳述などによると、抜本的な事故防止対策が取られなかったのは、森ビル側が安全より意匠(デザイン)を優先したためだった。
六本木ヒルズ森タワーでは一昨年十二月七日、別の自動回転扉に六歳の女児が挟まれ、頭を十一針縫う事故が発生。森ビル元管理運営室部長の香山行宏被告(48)は部下から「女の子が頭から血を流し、救急車で運ばれた」と報告を受け、元常務多田雄三被告(62)らに防犯ビデオに写った画像を見せた。
回転扉販売元の三和タジマと、香山被告を含む森ビルの双方の担当者は九日、現場で対策を協議。三和タジマの社員が二〇〇一年に恵比寿のデパートで起きた事故の後、設置された防護さくの写真を見せたが、森ビルの社員は意匠的に不適当だと難色を示し、別の防護さくの図面を作成するように頼んだ。
香山被告は同日ごろ、意匠面に関心の強い森稔社長から早く防護さく設置などの了解を得る必要があると判断。多田被告に申し出たが、多田被告は、意匠的により良い防護さくを三和タジマに検討させただけだった。
森タワーでは十三日にも二件の挟まれ事故が発生し、現場担当者が自分の判断で、仮設のさくを設置。多田、香山被告らは十二月二十四日、社長室で森社長に防護さくの設置を検討していると報告した。しかし、抜本的な対策はとられないまま三カ月が過ぎ、翌二〇〇四年三月二十六日に涼君の事故が起きた。
多田被告は一昨年十二月七日の事故で三和タジマ側が示した防護さくについて「『よくこんなものを付けたな』と思った」と供述。三和タジマの元取締役久保久暢被告(62)は「意匠を重視する森ビルに格好悪いと言われたり、嫌われたりしたくないので、勧めなかった」と話したという。
三和タジマの大型自動回転扉では、一九九三年に横浜市で男児が頭を挟まれて三針縫うけがをした。久保被告はこの現場で担当者から「骨でも折れたらどうするんだ。対策を考えろ」と叱責(しっせき)され、ドアの先をゴムで覆ったり、センサーを増設する対策を講じた。
同種の事故は九六年と二〇〇〇年にも発生し、〇一年には恵比寿で三件の事故が相次いだ。恵比寿では防護さくや緩衝材を設置し事故はなくなったが、久保被告は森タワーではこうした安全装置を設置しなかった。
検察側は「久保被告は安全対策を講じないまま、森ビルに回転扉を使わせ続けた。多田被告は一カ月から一カ月半あれば防護さくなどの設置が可能で、香山被告も回転モードでの使用を中止できた」と責任を追及している。
■全国で110台が撤去
涼君の死亡事故後、六本木ヒルズに9台あった大型回転扉は、事故機の1台を除き、すべてスライド式に変更された。全国の多くの大型回転扉も撤去されたり、使用されなくなったりしている。
国土交通省によると、六本木ヒルズの事故発生時、大型回転扉は全国で約470台あったが、今年2月までに約110台が撤去された。
実際に稼働しているのは約230台で、約130台は施設は残っていても未使用だったり、扉の回転を止めて通常ドアとして使われている。
■涼君の父コメント
溝川涼君の父光一さん(41)は、二十四日の初公判に際し、心境をつづった文章を弁護士を通じて寄せた。
光一さんは「時間がたったこともあり、少しは心が落ち着いてきた」と記した。しかし「同年齢の子供を見ると涼を思い出し、胸が締め付けられ苦しくなります」と今も消えない悲しみをのぞかせた。
JR西日本の電車脱線事故についても「第一目標を『稼ぐ』とした同社支社長の方針は、企業が安全より利益を優先する姿勢を明確に表した例ではないでしょうか」と指摘。「企業は安全対策の投資を惜しまず、製品やサービスの安全性をもう一度点検してほしい」と締めくくった。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20050625/mng_____thatu___000.shtml