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(回答先: “子宮で考える”は比喩に過ぎない 投稿者 さすれば 日時 2005 年 5 月 23 日 04:43:08)
「さすれば」さん、レスありがとうございます。
日頃から、「さすれば」さんのご投稿には共感するところが多かっただけに、前回と今回のご投稿には、とても失望しました。
考察者Kさんへのレスでも言いましたが、私は、いわゆるフェミニストでもないし、「女性党」的な候補者に投票しようとしたこともありません。
しかし、失礼な比喩を得意そうに振り回す「さすれば」さんが、今までの「さすれば」さんと同一人物だと思うと、残念でなりません。
> 政治家に投票する場合などは、子宮で考えずに、つまり感覚的に把握するのではなくもう少し頭脳を働かせてもらいたいと願うのみである。
「感覚的に把握するのではなく」とだけ言えばすむことを、わざわざ「子宮で考えずに」とセクハラ発言で修飾する悪趣味が気に入りません。
> ただし汚職をしなければよいというものではない。汚職は犯罪で、問題の外である。要するに、原則的には男女どちらの政治家が多かろうと、現状が変わって社会がよくなればよいのである。男女の比率の問題ではない。
この部分は、おっしゃるとおりです。
それ故、「小泉人気の高さ」の原因の片方に、『有権者の半分が“物事を子宮で考える”女性であること』を持ってくるのは、なんとも的外れではないでしょうか?
> 男性でも、政治家に対して知的な姿勢が弱くなっており、ことに若者が外貌を重視する傾向にあることは先の投稿で書いた通りである。
GHQ→CIAの「3S政策」の結果とまで言わないにしても、読書離れが進んで、分析的・論理的思考とそのための情報収集能力が低下した、感覚的・刹那的な人が増えているのは事実です。
> 男性には出来っこない“物事を子宮で考える”女性の感性を、私はむしろ一種の特権として尊重している。そこには男性にとって“脅威”があり、時に“美”さえあり、その言葉を単に“侮蔑”と取るような俗論には組みしない。
政治に無関心で支配層に都合のよい大衆が60年かけて作り出されてきた現状に対して、政治的無関心層の増加要因を、女性の生殖器に求めるのが、俗論でなくて何でしょうか?
まあ、小泉首相は、「さすれば」さんのご投稿を読めば喜ぶでしょうが・・・