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(回答先: 自殺と死 投稿者 ヒゲダンディ 日時 2005 年 4 月 11 日 01:57:30)
ヒゲダンディさん、ありがとうございます。
>自殺と死
>http://www.asyura2.com/0502/social1/msg/147.html
>投稿者 ヒゲダンディ 日時 2005 年 4 月 11 日 01:57:30: jhpC2n/Mxm7bY
>(回答先: 自殺 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 09 日 17:45:20)
>私は余命宣告を受けています。
>宣告を受けて間もない頃、自殺を考えました。
>死を志半ばで迎えるくらいなら、今生の最後に自分の好きな事をし、死のうと考えた事>もあります。
解る気がいたします。
>私は会社を経営しています。
>その経験から借金苦で死んだ人を数人知っています。
>今のルールでは借金で死ぬことはありません。
>どの様な場合でも解決策はあります。
心強いですね。
自己破産をして生き延びる人が増えてきていますね。
ある意味逞しいと思います。
周囲の目が気になる人ならこれは中々できないでしょう。
>私は尊厳死を認めています。
私も尊厳死は必要な事かなと思っております。
人間は自分の死に方を選択する自由はあると思います。
これは最後の自由だと思います。
>私が今後植物状態になれば、尊厳死を求むと書に残しています。(実行されるでしょう>か?)
法律的にはどうなのでしょうか?
意識の回復が不可能な状態になった時に実行される遺言のような法的文書というものは作成可能なのでしょうか?
>ただし、何かに冷めた精神状況での自殺に尊厳を認めようとは思いません。
それは、例えば社会に対する抗議としての自殺などでしょうか?
最近の自殺の流行は、ただ「生きるのが面倒だから」死ぬ人が出てきているように思います。
「完全自殺マニュアル」という本の発行と流行などはどう考えるべきなのでしょうか?
>死を枕に生活して初めて理解した部分です。
あなたのような境遇の方から見ると軽々しい自殺だと思えるのでしょうか?
>自殺の原因は様々でしょうが、死と勘定の合う事象は少ないでしょう。
少ないと思います。
>いくら抗っても死に向かっている私には、時間が一番の贅沢です。
はい。
>これからも生きていける時間を何より大事なものと教られる機会があれば、自殺は減る>でしょう。
そうですね。
自ら時間を短縮するなんてもったいな過ぎますね。
全ての人はいずれ死にます。
だったら精一杯生きるのが道ですよね。
>私は空を見ました。
>雲の流れを感じました。
>その後、北海道に行き、夏の終わりの寂しいオホーツクを見ました。
>空と海を見て、雲の流れと海の波に時間を理解しました。
波が打ち寄せては引いていく姿は時の刻みそのものですね。
人間の身体の中には血液という海があるのですね。
それは絶えず流れています。
時ですね。
>死はゴールではないのです。
はい。
>実はゴールなどというものはなく、歴史が続く限り、私はこの世にいた事になります。
そうです。
あなたの思い出が全ての人に反響していくでしょう。
私はあなたの事が忘れられないでしょう。
死の宣告を受けた人とメールで対話するのは初めてです。
しかし、考えてみれば全ての人は死の宣告を受けているのですよ。
時期を伝えられているかどうかの違いはあまりにも人間にとって大きい事ですが。
>死に様に美を感じる人もいます。
>生き様に美を感じる人もいます。
>完全な美を求める私は、両方に時間を与えます。
はい。
>私が生きていた時間よりもっと多くの時間が流れたとしても、思いや感情やそういった>ものは誰かの一部になり、意識されなくとも継承されていくでしょう。
そうです。
>死を考える人と私は語りたい。
死んだ後に何を残したいかですね。
残す為に一生懸命に生きているのでしょう。
死を考えるとはそういう事だと思います。
あなたは会社を残されるわけです。
素晴らしい事だと思います。
さて、私は何が残せるのだろうか?
>金銭ではなく、精神が元で死のうとするなら、理解し、語り合い、時間を共有する事で>生きる道を示せると考えます。
そうですね。
心の病で死ぬのはあまりにももったいないですね。
その心の病の中に世の中の問題の大きなヒントが隠されていると思います。
精神分析医は患者を通して社会の事を知るのです。
>過去にもあり、これからもある人間というモノの途中に私はいます。
>神や仏を信じていませんが、時間を信じています。
>痛みも絶望も生も死も、時の流れを止める事は出来ません。
>私の時間は終えるでしょうが、世の中の時間は続きます。
>それを共有した人とは、消す事が出来ない思いが残るでしょう。
残ります。
>くだらない感情論をまとまりもなく綴ってしまいました。
>申し訳なく思います。
とんでもございません。
あなたとの対話で私は建設的に生きていきたいという気持ちが強まりました。
対話もなるべく建設的な対話をすべきだと思いました。
ハード・パンチャーさんとの対話などでお見苦しい姿をお見せしてしまい、あなたは見るに見かねて「冷静に」とおっしゃっていただけたのですね。
私をいい方向に導いていただけたと思っております。
ありがとうございました。
あなたの文章を沢山区切ってしまい、失礼だったのかも知れません。
しかし、記憶力があまり無い私の対話法だと思ってご勘弁いただけましたらと思います。
今後共よろしくお願い申し上げます。