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(回答先: 自殺 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 09 日 17:45:20)
私は余命宣告を受けています。
宣告を受けて間もない頃、自殺を考えました。
死を志半ばで迎えるくらいなら、今生の最後に自分の好きな事をし、死のうと考えた事もあります。
私は会社を経営しています。
その経験から借金苦で死んだ人を数人知っています。
今のルールでは借金で死ぬことはありません。
どの様な場合でも解決策はあります。
私は尊厳死を認めています。
私が今後植物状態になれば、尊厳死を求むと書に残しています。(実行されるでしょうか?)
ただし、何かに冷めた精神状況での自殺に尊厳を認めようとは思いません。
死を枕に生活して初めて理解した部分です。
自殺の原因は様々でしょうが、死と勘定の合う事象は少ないでしょう。
いくら抗っても死に向かっている私には、時間が一番の贅沢です。
これからも生きていける時間を何より大事なものと教られる機会があれば、自殺は減るでしょう。
私は空を見ました。
雲の流れを感じました。
その後、北海道に行き、夏の終わりの寂しいオホーツクを見ました。
空と海を見て、雲の流れと海の波に時間を理解しました。
死はゴールではないのです。
実はゴールなどというものはなく、歴史が続く限り、私はこの世にいた事になります。
死に様に美を感じる人もいます。
生き様に美を感じる人もいます。
完全な美を求める私は、両方に時間を与えます。
私が生きていた時間よりもっと多くの時間が流れたとしても、思いや感情やそういったものは誰かの一部になり、意識されなくとも継承されていくでしょう。
死を考える人と私は語りたい。
金銭ではなく、精神が元で死のうとするなら、理解し、語り合い、時間を共有する事で生きる道を示せると考えます。
過去にもあり、これからもある人間というモノの途中に私はいます。
神や仏を信じていませんが、時間を信じています。
痛みも絶望も生も死も、時の流れを止める事は出来ません。
私の時間は終えるでしょうが、世の中の時間は続きます。
それを共有した人とは、消す事が出来ない思いが残るでしょう。
くだらない感情論をまとまりもなく綴ってしまいました。
申し訳なく思います。