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(回答先: 郵政法案:人脈の二階、盟友の山崎拓 「身内」で固める 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 19 日 21:47:08)
2005-05-20 04:08:01 Posted by kaisetsu
郵政法案:『人脈の二階』であれば、小泉は土壇場で裏切られる可能性が高い
テーマ:Anybody But Don-Ichiro
http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-795cdbf824453f29ce25c9d409a5ea5c.html
◆二階氏は、小泉氏がアマチュアの世渡り烏なら、プロの権力中枢のみを渡り歩く政治家であり、小泉氏に求心力が無くなれば、直ぐに小泉氏は捨てられるだろう。
(参考)
略歴
二階俊博(にかい としひろ 1939年(昭和14年)2月17日 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E4%BF%8A%E5%8D%9A
は、日本の政治家、衆議院議員。1939年(昭和14年)2月17日、和歌山県御坊市に生まれる。
父の二階俊太郎は稲原村長、和歌山県議会議員。1951年(昭和36年)中央大学法学部を卒業し、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣をつとめた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山に戻り、1975年(昭和50年)に和歌山県議会議員に立候補し、当選し2期務めた。1983年(昭和58年)和歌山二区(旧)から自由民主党公認(田中派)で衆議院議員総選挙に立候補し、5万3611票を獲得し、二位当選(以後7期連続当選)する。
竹下派結成に当たっては、二階は、田中に対する配慮と師事していた遠藤三郎が元藤山愛一郎派でそのつながりで江崎真澄に近いことから創政会には、参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことで自身も参加する。
1990年(平成2年)海部俊樹内閣で運輸政務次官に就任する。
1992年(平成4年)竹下派分裂の際は、小沢一郎に同調し、羽田孜派(改革フォーラム21)に参加。1993年(平成5年)宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党、新生党を結成に参加した。
総選挙後、発足した細川連立政権で運輸政務次官に就任する。
新進党にも参加し、「明日の内閣」の国土・交通政策担当などを務める。また、小沢側近として小沢党首選出に尽力した。
1998年(平成10年)小沢に従い自由党に参加。国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年(平成11年)第二次小渕恵三改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として入閣する。
自自連立に公明党が加わり、自自公連立が成立し、自由党の政策が実現されないと連立解消を主張する小沢と袂を分かち、野田毅らと保守党を結成し、自公保連立政権を作る。
小渕内閣を引き継いだ森喜朗内閣で留任。
2000年(平成12年)7月保守党国会対策委員長に就任。自民党国対委員長の古賀誠、公明党国対委員長の草川昭三と強いパイプを作る。
2001年(平成13年)保守党幹事長に就任。2002年(平成14年)保守新党でも幹事長に就任するが、2003年(平成15年)の総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。
復党後、旧保守新党の議員らで二階グループ(「新しい波」)を結成し会長となる。2004年(平成16年)9月、自民党総務局長に就任。
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