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広告マン出身の宮司、最も困難なセールスに取組む (NYT) [靖国神社宮司に関する記事]
http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/695.html
投稿者 ピロジ 日時 2005 年 2 月 13 日 18:07:40: jcMKuIfCtP0KM

http://www.nytimes.com/2005/02/12/international/asia/12profile.html?pagewanted=1

広告マン出身の宮司、最も困難なセールスに取組む

By NORIMITSU ONISHI
Published: February 12, 2005

東京

 四半世紀の間、世界最大の広告会社「電通」のオフィスに電車で通うサラリーマン生活を送った後、南部利昭は、家業を継ぐため退職した。それから更に四半世紀たって人生の第3幕が開いた。69歳のとき、彼は神道の神官になった。

 彼は、靖国神社の神官の長である宮司になるよう要請された(「青天の霹靂だった。」と彼は言う)。靖国神社は、14人のA級戦犯を含む250万人の戦死者を神として祀る場所である。2週間のあいだ熟慮し、また天皇からはげましの言葉を直接受取り、旧華族である南部氏は、引き受けた。昨秋、彼は136年の歴史を持つ靖国神社の第9代宮司に就任した。

この数ヶ月間、靖国はかつて無いほど日本と中国の間の激しい論争のもととなり、忙しかった。中国は、日本に侵略された過去を持つ他のアジア諸国と同様、靖国神社を悔い改めない軍国主義の象徴とみなしている。北京が、2ヶ月前に、小泉純一郎首相の毎年恒例の参拝をやめるよう単刀直入に要請して以来、靖国神社は、ますます民族主義的になる日本と、かつて無いほど力を増した中国の間の終わりの無いドラマの背景になっている。

で、小泉首相は今年靖国神社を参拝するのですか? という問いに、わからないし首相に圧力をかけてもいない、と南部氏は言う。それよりも、宮司としての日々の職務と、長期的な脅威 -- 靖国神社の最も強力な後ろ盾である退役軍人と戦死者の遺族の減少 -- への対応に追われていると、彼は語る。

「それが最大の問題です。」南部氏は、靖国神社内で、白と灰色の職服をまとい、長いインタビューの中で語った。「だから、私たちは、若い人たちに来てもらうための方策を考えなければなりません。」

その目的のため、靖国神社の歴史の中で初めて、サラリーマン、それも広告マンだった人を新しい宮司に迎えたのは、驚くべきことではない。「中国が首相の靖国参拝に反対しているような問題について、私の経験を生かすことはできません。」と、南部氏は電通時代の仕事に関連して語った。「それは、国が取組む問題です。しかし、私は、若い人たちを啓蒙する努力をすることで手伝うことはできます。」

同様に重要なことは、南部氏が最近インタービューを受け入れたことだ。彼の前任者たちは、ほとんどインタビューを受け入れず、知られることは無かった。「靖国神社は、自らのイメージを変えなければならないと思い始めた、と私は考えています。」と、歴史家で靖国神社についての最も重要な研究者である大江志乃夫は語った。南部氏を選んだことについて、「彼らはP.R.をしたいのです。」と大江氏は、付け加えた。

しかしながら、南部氏は、ただの広告マンではない。旧華族制度における華族であった南部家の第45代当主であり、北方にある岩手県内の南部家の領地では、いまだに「お殿様(load)」と呼ばれている。彼の任命は、靖国神社が抱える現在の課題だけでなく、戦後のアメリカによる占領下で公式には廃止された封建階級のしぶとく生き残る絆と影響力を垣間見せてくれた。

南部氏の靖国神社に関する最初の記憶の一つは、1941年12月8日に、国民学校1年生のクラスメートといっしょに神社を訪れたことである。それは真珠湾攻撃、あるいは、日本の保守派が好む用語を使って南部氏が述べたように、大東亜戦争の開始の数時間後のことであった。

日本の敗戦後、アメリカ兵たちがジープに乗り、岩手にある彼の家の土地に乗り入れて来て、財産を没収し、池の中の鯉を銃で撃った、と彼は語った。

戦後の混乱期のある日、彼の父親が家族を集めて華族制度が廃止されたことを知らせた。しかし、彼は家族に「決して華族としての誇りを失ってはいけない。」と言い聞かせた。

彼がマスメディアの講義を受けて、テレビという新媒体に興味を持った大学を卒業して、電通に入社した。彼は、その後、松下などの取引先担当責任者になるまでになった。彼の第二幕においては、家業の不動産ビジネスを経営し、またロータリークラブの幹部として海外を回った。

一年前、彼の前任者が定年の75歳に近づくと、調査委員会は、南部氏に決定した。それまでの戦後の4人の宮司のうち、最初の二人は、旧華族だったが、次の二人は、単に宗教家だった。

「祀られた神々がお喜びになるように、陛下に近い方が宮司になるのがベストだと思えました。」と山口建史権宮司は語った。

旧華族会の会長が彼に宮司を引き受けるように頼んだ。そして南部氏は「貴族としての責任」を感じた。

「それはノブレス・オブリージュです。」彼は言う。

平日の朝は、車が彼を自宅へ迎えに行き、9時30分頃神社に着く。彼は背広から宮司の職服に着替え、上から水を注がれ、身を清める。週末には、しばしば新しい職務に関する仕事が入ってゴルフができなくなる、と彼は嘆く。

日本が戦後失ったと彼が考える愛国心を取り戻すことも彼の職責の一部である。「戦後、アメリカは、押し付けた憲法の下で、日本人を去勢した。」平和憲法について、南部氏は語った。

靖国神社の博物館によると、日本はアジアの国々を解放するために西欧列強と戦争を行なった。それは、日本自身による朝鮮と満州の過酷な支配と中国に対する他の侵略行為、例えば10万〜30万人の中国人が虐殺された南京事件(the Rape of Nanking)を無視している。

南部氏は、中国が日本との政治交渉において交渉力を強める道具として靖国神社を使っていると思う、と語った。更に次のように付け加えた。「私は、日本の首相が、国を救うために命を捧げた人たちのために参拝することが、そんなに悪いことなのだろうかと思います。首相が来ないならば、それは失礼なことです。」

彼は、14人のA級戦犯が神として祀られていることが首相の参拝に反対する唯一の理由だという北京の見解を退けた。「日本にはA級だの、B級だのはありません。」彼は語った。「我々は、彼ら全員を戦死者として祀るのです。」

それらの14名が戦争犯罪で有罪とされた、ダグラス・マッカーサー元帥が設置した東京裁判について、南部氏は語った。「戦勝国が敗戦国に判決を下したのです。」

それらの14名が祀られた(その理由は一度も説明されたことがない)1978年以降、公式参拝は政治上の地雷原となり、ほとんどの首相はそれを避けてきた。明仁天皇は一度も参拝したことがない。彼の父親である裕仁天皇は、1975年の参拝が最後だった。

しかし、小泉氏(彼は、日本の自衛隊を本物の軍隊に変えたいと考えており、第二次世界大戦後、初めて戦争下の国に送られる派遣団の一部として550人の部隊をイラクに配備した)は、2001年に就任して以来、毎年、異なる日に参拝した。

南部氏は、小泉氏が今年まだ参拝しておらず、また参拝の意思を明らかにしないことについての不満を隠すことができない。

「もちろん、私は彼に来てほしい。」と彼は言う。「しかし、もし私が「来てください」と言えば、マスコミが大騒ぎするでしょうから、私は黙って待っているだけです。」

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