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(回答先: 発信箱:「圧力」の論じ方について 山田孝男(編集局) (毎日新聞) 投稿者 彗星 日時 2005 年 2 月 07 日 02:08:12)
この文の論者は、『圧力が無かった』とは言ってない。
圧力は常にある、と言っている。つまり、阿部ら政治家による圧力が無かったと言っているわけではないことを、ヘタすると読み違えてしまいそうだ。
圧力を受けた際、NHKが取った対応が問題だと言っている。さらにそれは、人事権や予算を国会に握られているNHKの構造がゆえだ、と言い、この点を変えなければ、今後も政治家の介入を防ぎきれない、と予測している。
NHKと政治の関係は、民放や新聞で言えばスポンサーとの関係と置き換えて考えることが可能とした上で、圧力を受けたときに、毅然とした態度で跳ね返すべき時に跳ね返すことは可能だと、自らの経験を引いて述べる。それはそうなのだが、ただ、この論者は、自分の体験と引き比べる時点で、大切なことが抜けてる。
毎日のは、取材して記事を書いた人が、自分の意志でボツにした、のでしょ?
NHKの方は、人事と予算、NHKの首根っこ押えといて、有無を言わさず、じゃ
人の弱みにつけ込んで、言うなりにさせたって、話やん。
番組を作った人全員が改変削除に反対してる!にもかかわらず、NHK幹部が上からの圧力で削除させたんやから、経緯が全然ちがうやん!
メディアの自戒の念の表出、としてなら分るけど、認識が甘くない?
強権を発動できるのは、政治家のほうなんだ。報道が権力に押しつぶされそうになって、報道機関がそれに太刀打ち出来なければ、太平洋戦争の翼賛報道を反省して、今は憲法と法律で、報道の自由を守ってやらなきゃならん、てことになってるのでしょう?
今回は、これにあたると思うんですが。
しかも、第二次世界大戦中の戦時性犯罪に対する日本の責任を明らかにする、という内容だった。それを、60年後の今も隠蔽しようとする政治家が登場して介入する。それは急ハンドルを切って戦時体制につっこむ現在の日本の危うさに直に繋がる。ここで憲法に威光を表わしてもらわなきゃ、何時使うんだ。