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「圧力」の論じ方について 山田孝男(編集局)
報道は常に「圧力」にさらされている。与党も、野党も、右翼も、左翼も、スポンサーも、捜査当局も、人権団体も、報道によって不利益が生じると思えば「報道するな」と言うだろうし、それ自体が悪いと言えた義理ではない。報道する側とされたくない側の利害が相反する場合は、報道すべき理由と報道すべきでない理由を比較考量して判断する。反対を押し切って報道するにせよ、反対を受け入れて報道を見送るにせよ、必要なら衆目にさらして恥じるところのない筋道の通った理由が必要だろう。
自民党の有力政治家とインタビューの最中に言い争って怒鳴りまくられ、秘書の差し止め要求を振り切ってそのまま記事にしたことがある。別の著名な政治家と似た展開になり、この時は考えた末、ボツにした。これらを圧力と言えば言えるが、政治家から見ればメディアの攻撃に対する防御だろうし、当方にも野心と計算があった。
89年から91年までNHK会長を務めた島桂次氏(故人)は遺著「シマゲジ風雲録/放送と権力40年」(95年文芸春秋)で「政治家のNHKに対する露骨な介入の数々」を語り、それを許した背景として「政府が経営委員会の人事を掌握」「予算も政府次第」「政治介入に口実を与える組合の暴走と労使癒着体質」を挙げている。
新聞社とNHKは成り立ちが違うが、およそ報道機関である以上、「圧力」から逃れうるものではない。問題はどう対応するかだ。「圧力は存在したか」「圧力は悪いことか」式の議論は不毛である。NHKは経過と判断についてもっと詳しく語るべきだ。(編集局)
毎日新聞 2005年2月7日 0時10分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050207k0000m070096000c.html