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(回答先: Re:日本国民概念序説 投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 04 日 01:50:06)
1、身体・地球 Matrix・日本
如往さん。こんにちわ。
身体論はおそらく90年代から深化が開始されたのではないでしょうか。
03年頃、駒場にあります平田オリザさんと青年団の劇場に公演チラシを折込にいったとき
東大駒場に寄りましたら、身体論講義のテタカンがありました。
身体論はこの21世紀において現在進行形であると思います。
思想領域におきましても身体論は『唯脳論』とともに疾走しているような気がしております。
自分の場合の脳とは足の裏になります。
ですから冬でも素足でないと、頭がボーとしてしまいます。
思考とは肌呼吸でもあると思っておりますので、素足でないと、脳回路に電気が走りません。
京都から神奈川まで大学1年のときから暗黒舞踏の稽古にきていて、何度も同じ舞台に立ちました
女学生が、暗黒舞踏論を卒論にすると、昨年の10月、京都公演が終了したとき、教えてくれました。
「参考資料を送るよ」とおらは彼女に約束いたしました。
そこで、23年11月頃に議論版で如往さん、マルハナバチさんと会話いたしました
地球 Matrixと身体をめぐっての諸文章を郵送いたしました。
彼女の卒論の〆切は12月だったのですが、ゼミの先生と交渉し
3月に延期してもらったそうであります。
アルバイトもやめ大学の図書館に毎日通っていると、この正月、西部講堂で会ったとき言っておりました。
「自分が無知であったことがよくわかった」とも言っておりました。
身体論はいま現在進行形ですから、なかなかたいへんであります。
人体科学会などもあります。
http://smbs.gr.jp/main/modules/news/
数年前、人体科学会のイベントに舞踏団の一員として参加したことがあります。
身体と日本そして地球 Matrixへの接続は
日本の超古代への思いの旅ではないかとも思っております。
縄文またはそれ以前の日本文明といいますか・・・
ゆっくりやっていくつもりです。
2、「敗北主義」への如往さんのコメントは勇気を与えていただきました。感謝します。
ユダヤ思想に対しては理論または思い、イメージとしても凌駕していく必要があると
決意することができました。
>日本人は先ず己の内なる「ひ弱さ」を克服すべきとの主旨です。
自分もこの如往さんの指針には賛成です。
尽力していきたいと思います。
オリジナル・ユダヤと平安京ですが
古代日本謎の中東思想渡来考
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yuyumuso/uuhasso/okuhito/oku2/qbl-index.html
平安京とオリジナル・ユダヤの諸問題は自分もまだ問題意識の入り口にありますので
まさぐっていくつもりです。
3、日本国民の普遍化のプロセス
これは大きな課題であると思います。
日本庶民それぞれの自我をなににおいて統治してきたか? という
自我制御装置の解明でありますから。
敗戦後は「米日安保条約+憲法第9条」かもしれないと、考えております。
リアリティ接近を切断する自我制御装置。
敗戦後におきましての
「近代的主体」と「近代的自我」は西洋啓蒙思想から論じられてまいりましたが
おおむね「消費する個人主体と自我」に回収されてしまいました。
しかし自我は植民地されてきたといいますか・・・
敗戦後の「政治統治と植民地自我」は、これまで成立してまいりました
日本体制とは何であったかを、解明する必要があると思っております。
自我の制御方法といたしましては「ヨン様とキムジョンイル」を並列にプロパガンダ。
「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と憲法第9条の同時並列。
絶対矛盾論理において国民の自我を制御していく方法は
日本を外国軍が占領している事実を忘我してくれます。
この植民地精神の地帯では
思考と倫理建設がはなはだ困難となりまして、国会のレトリック・ゲームのように
つねに「壮大なゼロ」事業となってしまう落とし穴が待っております。
日本国民は日本有史はじまって以来の、外国軍による占領時代を生きぬいてきたわけでありますが
これが敗戦後におきます日本体制となって起動し、いまも現在進行形であります。
世界権力による日本体制概念序説を書く必要があると思っております。
日本国民の普遍化とは、シオニストによって自我を制御されました
ドイツ国民がどう敗戦後を生き延びたかに通低する内容でもあると思っております。
日本経済の今後は敗戦後のイタリア職人がどう生き延びたか、にも通低する内容でもあります。
日本国民概念の世界への普遍化はなかなかたいへんな21世紀の作業であると思っております。
最近、流通しております「北東アジア共通の家」「東アジア共同体」構想は
EUのように国際金融家のためのプログラムへと生成してしまう落とし穴があるのではと
疑っております。
植民地自我のままでは、USアメリカの属国から中華帝国圏の属国となるだけです。
日本国民概念は徳川幕藩体制から足利幕府体制から鎌倉幕府体制から中世から古代から
再検証するのがいいと思っております。
近代主義者からは「反時代」であると思われましても、「孤立を求めて連帯を恐れず」精神で
まさぐっていくしかないと思っております。
絶対矛盾の揺らぎのなかで、おのれの自我のあり方が、植民地精神を凌駕できれば
21世紀の希望がエネルギーを明日へとそそいでくれます。
如往さん。ありがとうございました。
ご指摘ご批判はいつも、自分を救ってくます。今後ともよろしくです。
いつも自己言及ばかりになってしまい申し訳ありません。
人間性と人間心理、人間の欲望、人間の本性のみを、古代から怜悧に研究してきたユダヤ世界思想を
現実とリアリティ把握において凌駕することは、壮大な理論構築事業となりますが
気概と勇気をもって、いどんでいけたら素晴らしいと思います。
まずは日本体制概念序説へと向かっていきたいと思っております。