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(回答先: 教育は民主主義ではない。 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 2 月 06 日 01:25:52)
たけさん、横レスありがとうございます。
読んでくれて嬉しいです。
>教育は民主主義ではない。
納得しました。
教育って知っている人が知らない人に教える行為ですね。
>http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/513.html
>投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 2 月 06 日 01:25:52: SjhUwzSd1dsNg
>(回答先: 日本国民党の思想的基礎 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 2 月 05 日 21:41:35)
>>>民主主義ではまず人材が育ちません。
>
>>軍隊式がいいのですかね?
>ここだけ反応。
>教育は民主主義では駄目です。
教師が「君は何を教えて欲しい?」ってリクエストを出してもらって
リクエストに答えて教え始めるもんでは無いですよね。
そんな事をすれば、ロールプレイングゲームの攻略法ばかり教える事になっちまう。
>というか、民主主義は政治の意思決定のための理念であって、教育のための理念では>ありません。
はい。
>教育の理念は「子どもの成長」であり、「子どもが教育を受ける権利」であり、「そ>の能力に応じて教育を受ける権利」を保障することです。
はい。
まずは、社会生活に困らないようにする事が教育の目的でしょうね。
生活教育と職業教育という事になると思います。
その次の段階で社会に対する理解を深めるとか世界観・歴史観の教育があるの
でしょうね。
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http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
>第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教>育を受ける権利を有する。
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>では、「子どもの成長」とか「教育の中身」に関しては、いろいろ議論が可能だろ思>います。
どの方向に成長させるべきなのか?ですね。
まずは「対話・読み・書き」でしょうね。
この対話というものが私は軽視されているように思います。
数・生き物に対する理解・物質の把握・絵・音楽・映像・演劇
という感じですね。
「人とどう付き合うか」という教育も大事でしょう。
>たけ(tk)は、人間としての成長、マズローが「成長欲求」であげているような人格的>な成長が教育の目的であろうと考えています。
人格的な成長ですね。
「人間どうあるべきか?」を示すような内容ですね。
そういう意味ではいい人間の物語を様々に示し児童生徒に感動を与えて
「ようし、自分もこうなろう。」と目標になるようにするのがいいですね。
「人に親切にする人は皆から好かれ自分も幸福になりました。」のような話ですね。
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http://www.members.aol.com/Ajianwellness/mazuro.htm
>マズローは成長欲求と名づけいくつかの特徴をあげている。 真・美・全体性・躍動>>性・独自性・必然性・正義・秩序・単純さ・無碍・楽しみといった質が重要になって>くる。
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なるほど。
真理を追求しようという欲求はどこから生まれてくるのでしょうね?
あるいは正義は?
弱者救済は?
人から尊敬されたいからそのような追求をする場合もありますね。
最初は人から尊敬されたいという事から始まったとしてもやっている内にそれが
自然な習慣になるのがいいですね。
>教育の中身はともあれ、教師が子どもを教育するためには、子どもにとって教師が>>「尊敬すべき人格」である必要があります。
これが中々難しそうですね。
まあ、取りあえず、物知りが尊敬の要素になりますね。
他は何でしょうか?
人間的な暖かさか?
笑顔は大きいように思いますね。
自信がある教師は子供に対して笑顔で接する事ができるでしょう。
みんなから好かれているという事が尊敬の理由になりますね。
で、好かれる為には。
話せる教師である事でしょう。
>「尊敬する」ということは、「その人のようになりたい」という欲求が、内心から発>するようになるということです。
そうですね。
>そうでなければ子どもの学習は不純な動機に奉仕する手段になってしまいます。
実際の教育現場は教師は子供がちゃんと勉強をしているかどうかを見張る
工場における職制のようなものでしか無い場合が多いのではありませんか?
これでは、やる気が起きないでしょう。
「こんな勉強して一体何の役に立つの?」と私は受験勉強をしながら思ったものです。
>国家の役割は、教師がそのように振る舞うことができる環境を整備することです。
教育の目的についてちゃんと議論しなければなりませんね。
今の学習指導要領なんかいい加減な目標設定では無いですか?
「これこれの知識の習得」ばかりになっちゃってね。
人格面や思考力の教育が弱いから青少年の犯罪が増えているんだと思いますよ。
>つまり、教師に自由と時間とを与えて、ゆったりと自らの信念に基づいて自らの人格>を磨くことができる環境を作ることだと考えています。
教師に時間を与えても何をするか分からないのでは?
やはり教師の人格教育から始めないとね。
知識が多いだけで教師になっている人が大半でしょう。
>* 今の文部省とは正反対の考え方ですね。
文部科学省の批判から始めないといけませんね。
ところでたけさんは先生じゃないですか?
>民主主義と教育とが関係するのは、子どもに対して「将来の主権者として必要な判断>力を養う」教育も必要だ、ということだと思います。
はい。
>そのための教材として、疑似的な民主主義の場を持ち込む必要がある場合もあるかも>しれません。
学級会議ですね。
生徒会とか。
>しかし、教育自体としては、教室に民主主義を持ち込んでも意味がありません。
はい。
>民主的に数学を学習するなどということは考えられません。
もちろん、そうですね。
これは「こうするものだ。こう考えるものだ。」と叩き込まなくてはなりませんね。
>教師に対する尊敬こそが教育を可能にする力であろうと考えています。
確かに。
尊敬できない人の言葉は上の空でしか聞けませんからね。
「ああ、また何か言っとるわ。」みたいなもんですね。
私の上司の話をしているわけではありませんが。