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(回答先: 日本国民党の思想的基礎 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 2 月 05 日 21:41:35)
>>民主主義ではまず人材が育ちません。
>
>軍隊式がいいのですかね?
ここだけ反応。
教育は民主主義では駄目です。というか、民主主義は政治の意思決定のための理念であって、教育のための理念ではありません。
教育の理念は「子どもの成長」であり、「子どもが教育を受ける権利」であり、「その能力に応じて教育を受ける権利」を保障することです。
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http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
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では、「子どもの成長」とか「教育の中身」に関しては、いろいろ議論が可能だろ思います。
たけ(tk)は、人間としての成長、マズローが「成長欲求」であげているような人格的な成長が教育の目的であろうと考えています。
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http://www.members.aol.com/Ajianwellness/mazuro.htm
マズローは成長欲求と名づけいくつかの特徴をあげている。 真・美・全体性・躍動性・独自性・必然性・正義・秩序・単純さ・無碍・楽しみといった質が重要になってくる。
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教育の中身はともあれ、教師が子どもを教育するためには、子どもにとって教師が「尊敬すべき人格」である必要があります。「尊敬する」ということは、「その人のようになりたい」という欲求が、内心から発するようになるということです。そうでなければ子どもの学習は不純な動機に奉仕する手段になってしまいます。
国家の役割は、教師がそのように振る舞うことができる環境を整備することです。つまり、教師に自由と時間とを与えて、ゆったりと自らの信念に基づいて自らの人格を磨くことができる環境を作ることだと考えています。
* 今の文部省とは正反対の考え方ですね。
民主主義と教育とが関係するのは、子どもに対して「将来の主権者として必要な判断力を養う」教育も必要だ、ということだと思います。
そのための教材として、疑似的な民主主義の場を持ち込む必要がある場合もあるかもしれません。
しかし、教育自体としては、教室に民主主義を持ち込んでも意味がありません。民主的に数学を学習するなどということは考えられません。教師に対する尊敬こそが教育を可能にする力であろうと考えています。