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(回答先: Re: 生臭いハナシばかり・・・ 投稿者 東京音頭 日時 2005 年 1 月 30 日 22:56:14)
>この問題は、日本のだめな政治家達とか、自民党とか、意識の足りない国民などの 個々の問題より、もっと大きな問題であると思います。(日本は、アジア侵略をして、彼らに悪い事をしたと思っている若者は8割でしたっけ、こえるのでしょう。5年位前の世論調査で出ていました。この結果は、人権を振りかざす西洋国家に誇れるよ。インドに自国が侵略したの知らないイギリス人8割超えるでしょうから。)世界の経済体系が変わらないとむりなのでは
東京音頭さん、レスありがとうございます。
確かに、私は、国民を代表する政治家のお粗末さやメディアのふがいなさで、怒りをどこへ持っていけばいいのかとおもいつつ、また、そうした欺瞞にながされていく国民一人一人の軽さに、うんざりし、ゆで蛙と十把一絡げに罵倒するといった論調になりがちです。
この2年以上にわたる各掲示板でのそうした繰り返しに辟易して、さらに、現実の流れが戦争へシフトして行く過程で、あせりも限界に来ています。
上記の英国の国民意識に示されているように、確かに、どこの国も、資本主義国の自己中は似たり寄ったりです。パレスチナ問題など、英国が根源です。イスラエルを他人事のように批判することも傍観することも許されません。ですが、負い目があるからこそ、米国との更なる蛮行戦争に加担し続けるのでしょう。
また、個人は、国家間のとほうもない謀略にまきこまれる歯車のひとつです。戦争も、個人の努力や意思など介在しない大きな枠組みの中であるといえば、そうかもしれませんが、国を成り立たせているのは、紛れも無く、一個人です。今回のイラク選挙も、資本主義国が、こぞって賞賛の論調にのっていますが、今、イラク民衆は、心あるものは、まさに、命懸けで、イラク人民の尊厳をかけて、汚い謀略選挙を阻止しています。少数であっても、膨大な数の犠牲があったとしても、魂は引き継がれます。歴史は真実を伝えます。
こういうときだからこそ、私達は、一人の人間として、イラク戦争の何たるかを見なければならないとおもいます。今までと同じ、米国製フィルターからみた論調に甘んじていてはいけないと思います。
日本国内のすべてのメディアが、恥ずかしくなるような、垂れ流し情報を続けていますが、これはもう、更生の余地はないと思えるばかりです。イラク戦争の口実の大量破壊兵器云々といいますが、こんな口実は最初から分かっていたことです。当初、なくてもあっても、口実にならないことを、いったい、どのメディアが書いたことでしょう。
私は、最初から、しんぶん赤旗には、「大量破壊兵器は無いだろう」という前提で(あっても、問題なし)、このことに依拠することの愚劣さを意見してきました。
アフガン攻撃の際は、「国連主導で武力攻撃」支持した共産党・不破氏は、ビンラディンを首謀者ときめつけ、犯罪者と規定しました。そして、アフガン攻撃が始まり、アフガンで、クラスター爆弾で傷つく少女を案じ、国会でコイズミを追求する共産党議員の小池さんをみながら、私は、なんとも、やりきれないものを感じました。
9・11は、私は、私の人生感を変えたものとして、もっとも大きな歴史的事件です。戦争の何たるかを一から体感でき、今、なお、渦中にあります。過去の戦争の同じ土壌に根ざした、人間の弱さと卑劣さ、厚顔無恥を処世術として生き延びる帝国主義の面々。恥と罪を問わない人間の習性に胡坐をかいていては、いつまでたっても、まともな人生は来ないと思えます。
私が尊敬する本多立太郎さんという方がいます。90歳で、先の戦争で捕虜虐殺の体験があるかたです。全国に戦争出前噺をつづけて20年ちかい方です。数回お話させていただきましたが、加害と被害の意識をきちんと見据えておられる方の、くもりない視点には、体験者であるが故の、また、人間としてまっすぐな生き方を感じます。70年たったいまでも、「捕虜の引きつった目を思い出して、夜中に飛び起きる」氏の胸中を、私は、思い出します。「戦争責任」を問われて、声高に否定したり、「言葉のあや」としてごまかす、どこかのおえらいかたとは、人間としての質が違います。
今、ジェンキンさんが、北朝鮮での「犬のような生活」を吐露していますが、なんとも、不思議な方です。「郷に入れば郷に従え」でしょうか。これに飛びつくメディアもまた、イヌ以下の糞バエとなって、ぶんぶん、ぶんぶん、戦争報道を賑わします。
ともあれ、朝日新聞を購読している私は、この度のNH改竄問題では、朝日を擁護する反面、朝日新聞の「偽紳士・羊頭狗肉的」な内実にうんざいりしていることも事実です。木村愛ニさんの一面は理解できます。
こと、戦争になると、話は複雑で、あらゆる面から検証しなおさなければなりません。ですが、国も、個人も、気付いたとき、そこから考え始めればいいのだとおもいます。周りにあわせることなく、それがいつであろうが、今、気付いたなら今から。