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(回答先: 弁証法は対話法ではない。 投稿者 南青山 日時 2005 年 1 月 29 日 16:57:41)
南青山さん、こんばんは。
弁証法の「正反合」って分かりにくいんですよね。
対立物と統合されるイメージって抽象的には考えれても具体的には分かりにくいです。
私は弁証法ってのは「全てが関連し動いている」という物の見方の事だと解釈して
おります。違っておりますかね?
反対物への転化ってのがむつかしいのですよね。
資本主義が発展すればするほど労働者階級は巨大になり、その巨大になった
労働者階級によって資本主義体制は打倒されるというような流れを
弁証法的な過程だとは思っておりますが。
>弁証法は対話法ではない。
ソクラテスの対話法が弁証法的だという話はありましたなあ。
対話相手の論理を借りて、当の相手の論理に内部矛盾を起こさせる
というような事もありましたなあ。
「対話編」ってプラトンの著作だったのかな?
>http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/231.html
>投稿者 南青山 日時 2005 年 1 月 29 日 16:57:41: ahR4ulk6JJ6HU
>(回答先: 水準の低い学園紛争の教授監禁吊し上げ並みだから無視:Re: 弁証法 投稿>>者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 29 日 16:16:57)
>正反合の弁証法というときは、やはりヘーゲル的弁証法を指し示していると思います>>が、その場合、対話法では、全然意味が違ってきます。
それは、そうでしょうね。
>揚げ足取り的な物言いになりますが、弁証法はディペードではありません。
はい。
>まあ、ヘーゲル的弁証法は精神の自己規定への洞察なので、揚げ足取りのゲバ棒型対話>とは極北に位置しますが。
「精神の自己規定への洞察」ですか?
難しいですね。
どういう意味でしょうか?
>ついでに言えば、対話法について学びたければ、プラトンの一連の著作を熟読すること>をお進めします。
はい。