現在地 HOME > 政治・選挙8 > 209.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: この件については私自身、勉強不足ではありますが・・。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 1 月 29 日 09:30:20)
>なんの因果か、私の家内はユダヤ人。
>その母親(私の義母)は、ホロコーストの生還者です。
それは心強い。当事者であるユダヤ人の意見をぜひ聞いてみたいです。最初の質問は下記の通りです。
「ホロコースト」という言葉はトーラーの中では、どういう意味で使われていますか?
----
阿修羅での今までの議論では、次のような見解がベースになっています。
----
http://www.asyura.com/2002/war10/msg/363.html
Re: 「全燔祭」=ホロコーストに由来するものでは? 投稿者 あっしら 日時 2002 年 3 月 14 日 22:00:24:
(回答先: サウジアラビア紙に掲載された「ユダヤ人のペストリー」に関するコラム 投稿者 ドメル将軍 日時 2002 年 3 月 14 日 20:42:01)
・・・
ヘブライ人やフェニキア人などが新年祭の流れで行った「全燔祭」のことを“ホロコースト”(今ではナチスの「ユダヤ人虐殺」を指すものとして有名)と言います。
(フェニキアは、中東のシリア・レバノン地域を拠点にしつつ、地中海沿岸に植民市を数多くつくった商業国家です。カルタゴは、フェニキアの植民市として誕生し、ローマ帝国に滅ぼされるまでは西地中海で覇を誇っていました。フェニキアが滅びたとき、地中海沿岸に“忽然と”ユダヤ人の都市が現れたことから、そのユダヤ人は、フェニキアと同族だと推定されます。ユダヤ人は、ユダ王国やイスラエル王国に定住していたわけではなく、ローマ帝国によって滅ぼされる前から“流浪”していたのです。「バビロン捕囚」も、統治者や司祭のみがバビロニアに連れていかれ、それなりの待遇を受け、ペルシア王から解放されても、多くが“商売の都合”からバビロニアを離れなかったというものです。「バビロン捕囚時代」の一般ユダヤ人は、そのまま土地に残り畑を耕し、税の納め先がそれまでのユダヤ人統治者からバビロニアの統治者に変わったというものです)
新年祭では様々な生け贄が供犠所で捧げられましたが、「全燔祭」は、最大のイベントで、生け贄として人間が捧げられました。「初子」や子供、そして、数日間統治者と同じような豪奢な生活をした奴隷などが統治者の身代わりとして犠牲になりました。
「全燔祭」は、共同体=国家に降りかかった災厄の除去を願ったり、共同体や個人が犯した過ちの贖罪であったり、共同体の新しい年の隆盛を祈願するためのものだったと言われています。
----
ホロコーストが本当に意味するもの
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/285.html
投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2004 年 1 月 12 日 03:57:33:d/vusjnSYDx0.
最近阿修羅ではホロコースト論議が喧しいが、第二次大戦前・中のユダヤ人の受難を形容する目的で、最初に燔祭(羊を丸焼きにして神前に供えるヘブライ民族の伝統)を意味するこの言葉を持ち出した人のホンネを推察してみるのも一興である。
旧約聖書(創世記)を読んだ人なら先刻ご承知のように、ユダヤ民族の直接の父祖ともいうべきアブラハムはある日、神(エホバ)から「一人息子のイサクを山の上でホロコーストしろ。」との命令を受け、指示通りにイサクを祭壇の上で殺して燃やそうとしたその刹那、「ストップ、ストップ、お前の信仰の深さはよくわかった。愛する一人息子さえ疑問ももたずに犠牲にするその覚悟は天晴れだ、もうイサクを殺して燃やすには及ばない」との天の声があって、めでたしめでたしという例の話である。このエピソードには身内(一人息子)でさえ、偉大な大義(神の意志)のために犠牲にする覚悟を持っていることの美徳が描かれている。旧約聖書の中でも最も有名なこの逸話の存在ゆえに、「ホロコースト」という言葉には常に「身内でも犠牲にする精神」という概念がつきまとうことになる。
ところでヨーロッパにおけるユダヤ人の受難が、イスラエル国家を建設する際に大きなテコとして利用されたこと、さらにイスラエル国家建設にはロスチャイルド財閥の巨大な利権が絡んでいたことはよく知られている。従ってユダヤ人の受難はイスラエル国家建設(ズバリ言えばロスチャイルドの金儲け)、という文字通りの偉大な大義のために貢献した、ということができる。
・・・
----
ホロコースト・プロパガンダの仕組み
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/297.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 1 月 12 日 15:14:05:SjhUwzSd1dsNg
ホロコースト・プロパガンダの仕組み
ユダヤ人にとっては、
(1)ホロコーストはユダヤ人の神聖な儀式である。その儀式によって、ユダヤ人のご主人様に生贄を献げ、ご主人様との契約を強化し、特権的な地位をもらうという儀式である。
(2)ホロコーストはユダヤ教の宗教的事実なので、その事実の認定はユダヤ教徒以外は行うことができない。
(3)宗教的事実なので、幻でも証明になる。むしろ、神の啓示を受けた幻こそ宗教的な真実である。逆に「(非ユダヤ人による)実証」は宗教的には有害無益であり、抹殺されなければならない。
そこで、非ユダヤ人が「ホロコースト=ナチによるユダヤ人虐殺」と誤解すると、
(4)本来、虐殺は歴史的事実として学問的に検証を行うべきものである。ところが下手に「ホロコースト」の検証を行おうとするとユダヤ教に対する不当な干渉ということになりかねない。
(5)非ユダヤ人が「ホロコースト」の検証を行うこと自体が、ユダヤ教に対する冒涜になる。
(6)その結果、ユダヤ人が認定した「ホロコースト」を、そのまま歴史的事実として承認せざるをえなくなる。「神の啓示を受けた幻」によって「証明」された「ユダヤ人にとっての宗教的な真実」を、非ユダヤ人が「歴史的事実」として承認するということになる。
(7)ナチによるユダヤ人虐殺というのは、歴史的に見れば、どこにでもある虐殺事件の一つに過ぎない。ところが、それを「ホロコースト」という特殊な宗教用語で理解することにより、ユダヤ人に対する虐殺だけが特殊な意味を持つ。特別におどろおどろしい虐殺である。ユダヤ人だけが特別の被害者だ、という気分になる。すなわち、ユダヤ人は特別に扱われるべき民族だ、というユダヤ選民思想の視点で歴史を見るようになる。
非ユダヤ人の中には「ホロコーストによってユダヤ人が犠牲になった」と言って、ユダヤ人に対する同情を持つ人が多い。しかし、ユダヤ人にとってば「ホロコーストによって犠牲になった人間や動物はご主人様の下に行く」のであるから、犠牲者は神聖な存在になるのである。神と契約して特別な地位にあるユダヤ人が、異教徒の同情や憐れみを喜ぶはずがない。
しかし、異教徒が勝手に誤解して、勝手に同情してくれるのであれば、ユダヤ人としてはその誤解や同情を、ありがたく政治的に利用させていただく。
こういう仕組みで、ホロコースト・プロパガンダというものが出来上がっていると理解しております。
----