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ワヤクチャ さんの『何を獲得すべきか?』(26日)の投稿に答えます。
1と2は同意します。
あとは僕には何とも言えません。
メディアにおける権力者などの介入という「一般的な問題」のほかに、今回の件に特有な要素──歴史や背後関係、損得関係など──を考えることは必要なのかもしれません。けれどもそういうものの行き過ぎは本質を見誤らせます。
たとえば、「政局」と「政治」と分けて考えた場合、市民にとって必要なことは「政治」のほうです。その中身です。
誰それがどんな理由でどのポストについたというような「政局」のほうの話は、防衛庁長官に、実際に戦争で財を築き現在も防衛庁からの受注額トップ企業の人間がなった、あるいはその企業と癒着している人間がなった、というような「政治」の内実に深く関わってくるようなもの以外は、”腐乱した社交場”の酒の肴みたいなものでしょう。他のニュースや記事をさしおいて、報道をする価値などないことと思います。
けれども、現今のメディアに流れるのは、「政治」ではなく「政局」が大部分です。「政治」の部分などは、記者クラブによる政官財の”広報”のようなものばかりだし、「政局」も上に書いたような「政治」に密接に関わってくるものは少なく、どうでもいいような痴話のようなものばかりです。そういった「報道」をするメディアの人間というのは、自分を政官財らと同じ階層に属する人間と位置付けており、自らの社交場での興味としてそれらを書いているのではと思わせられます。少なくとも、「政治」が及ぼす影響には無力である世の中の多くの市民の立場で書いているのではないでしょう。
今回の件もそれと同じで「政局」を考えるのであれば、「政治」(今回の場合は”ジャーナリズムの独立性”、市民の”介入なき報道”を受ける権利等々)に密接に関わってくること(論理的に)以外は本質を見誤らせるものになり、何をやっているのかわからなくなる、かえって害になる、というのが僕の意見です。