現在地 HOME > 政治・選挙8 > 1155.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 当局御用評論に騙されるな!「ジャーナリズム本来」は、そんなに立派な仕事か 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 3 月 26 日 14:22:55)
2005-03-26 17:58:43
スクープ性の無価値化
テーマ:不連続的差異論
http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-e9b7c9bbf14861ea22e4b24a36c51851.html
スクープやゴシップが価値を持つ社会とは、常に存在する訳ではない。
例えば、名誉毀損の法理は、「公然たる事実の摘示」で、これを反社会的行為と捉えている。
近代以前においては、ゴシップやスクープ、「覗き趣味」は、如何わしいもの、不愉快なもの、と捉えられていた。
所謂、モダンな社会になり、カント的な直観主義、「事実」への過度な信頼、世俗趣味から、スクープやゴシップが価値を生むようになり、マスコミが、それに火をつけた。
但し、ポスト・モダンの後は、相対主義の影響から、「事実」の相対化によって、スクープ記事の「事実」の相対化が進み、所謂、「軽薄化」「浮遊化」「消耗品化」されてきた。
そこに、情報化社会の進展から、「事実」の在り様が変質しつつあり、「マス・メデイアの『流す』一方的な事実」と「不連続な差異のユニットが多数・独立に発信する玉石混交の事実の集まり」とが対峙し、その、どちらが、より「真実性」を持ちうるか、という問題が提起されつつある。
これは、所謂、「ポスト・モダン」或いは、それ以降の認識から生まれたもので、カント主義や唯物史観のような、「善悪」「立派か、どうか」という観点は、一時、判断中止して、「スクープ性」が金銭的価値を持つか、という「事実らしい」ことを基礎に、考えようとしているのだ。
所謂、ジャーナリズムが、立派かどうか、私には、全く、判断できないし、判断する必要性を感じない。
但し、ジャーナリズムという言葉が意味を持つのは、そのゴシップ性やスクープ性では無くて、そのジャーナリストの「世界認識」「ものの考え方」「主張」であり、また、ジャーナリストという言葉によって形成される構造では、金銭の対価である価値とは、一定の距離を持つ概念である、ということを言っているのだ。