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(回答先: 即座に地上波デジタルの再検討に 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 3 月 26 日 01:51:17)
歌田明弘&「地球村の事件簿」
http://blog.a-utada.com/chikyu/2005/03/yahoo____.html#more
2005.03.24
ネットの時代にはスクープに価値がなくなる?
ホリエモンのメディアについての考えは、
いかにもどこかから取ってきたようでありながら、
率直な物言いが時代の雰囲気を突いてもいる
(週刊アスキー「仮想報道」第379回)
●ニッポン放送だけでも十分
ライブドアとフジテレビの争いについてじつに多くの人がいろいろなことを言っているが、盲点をつかれたように思ったのは、ビデオ・ジャーナリストの神保哲生氏の指摘だ。私も含めて多くの人は(そしておそらく堀江氏自身も)ニッポン放送の株をねらったのはフジテレビの親会社だからで、「本命」はテレビだと思っているわけだけど、神保氏は、ニッポン放送を手に入れるだけでも十分に意味があるんじゃないかとウェブログに書いている。
神保氏のサイトでは、多くの記者会見が、通常のテレビ放送のようにカットはされず、ほとんどそのまま見ることができる。しかし、それらはみな外国特派員協会での会見だ。記者クラブが主催する記者会見は、会員メディア企業以外が参加するのはむずかしい。ライブドアが記者クラブのメンバーであるニッポン放送を掌中におさめれば、首相官邸から東証や日銀などの会見、プロ野球や相撲にいたるまで広範な情報の入手が容易になる。「記者クラブの壁」につね日ごろ苦労している神保氏はそう指摘し、さらにこう書いている。「ラジオ局はラジオしかできないのではないかとお思いの方もおられるかもしれませんが、そのような論理は一旦中に入りさえすれば何でも通ってしまう記者クラブのカルチャーには存在しません。朝日新聞の朝日ニューススターは官庁の記者クラブ会見を生放送したりネットでも流してますし、そもそもNHKや民放も、記者クラブ経由でアクセスした映像や記者会見の模様を平気でネット配信しています。朝日や日経の記事をネットで読まれている方も少なくないでしょう。ライブドア傘下のニッポン放送がネットでニュース(動画にせよ音声にせよ活字にせよ)を配信できないとなると、今行われている既存報道機関のネット配信も全て御法度ということになります」。
3月3日ニッポン放送の社員は、ライブドアの経営参画に反対する声明を出したが、ライブドアの傘下に入って、もし全社員が退社しニッポン放送が空っぽになったとしても、放送免許と記者クラブのメンバーという事実は残る。ニッポン放送の社員が全員辞めたらもちろん放送のレベルはがた落ちだろう。しかし、テレビ同様ラジオも、付加価値の高い電波を分け与えられている許認可事業だ。そうした電波使用の権利に加えて、記者クラブのメンバーという情報へのアクセス権まで得られるわけだから、それだけでも価値があるというのはそのとおりだろう。むしろ「空っぽにされた方が、かえって面白い放送局ができあがる可能性だってある」と神保氏は書いている。
意表を突いているが、実際ライブドアは報道センターを作って記者を雇い、自前で取材し始めており、神保氏の指摘には説得力がある。ニッポン放送は、資産を手放す「焦土作戦」を考え始めたということだから、ニッポン放送だけでもメリットがあるという話は、ますますリアリティを持ち始めた。
もっとも、外国特派員協会の記者会見で神保氏自身が、記者クラブに参加できれば取材の可能性が広がるがどう思うか質問したところ、堀江氏は、「ごめんなさい。私は記者クラブのことはそんなに重要だとは思わないんです。なぜかって時代はもう変わっているんです」と答えている。官邸の中に入って取らなければならないような一次情報やインサイダー情報はもはや重要ではないし、スクープも重要ではない。「それは通信社などにまかせて買えばいい」と言う。その理由は、「これまで情報を発信するのはプレスの特権だったけど、インターネットの時代は情報を独占するのではなくて、オープンに速く情報を出す。だからインサイダーになって情報を得ることはもはや重要ではない」のだそうだ。
この答えを聞いた神保氏はウェブログに、「既存のメディア業界の構造問題を、堀江氏という風雲児が一夜にして根底から揺さぶっているという事実は、画期的なことであり、とても意味のあること」だと書きながらも、「一次情報なんて放っておけば、つまり市場原理に任せておけば、自然にどこかから流れてくるものでしょ、といった堀江氏のメディアに対する認識には、私は幻滅を通り越して、少々危ないものを感じました」と言う。さらに、「今の私たちの社会で、いろいろな問題が明らかになり、それが政治や行政、企業らによって修正されていくまでに、どれだけ多くの記者たちの目に見えない地道な取材がその背後にあったかについて、そうした価値をまるで認めていないという事実はとても重いものがあるように感じました」とも書いている。神保氏は、ジャーナリストなんて偉そうなことを言っていても裏で何をやっているかわからないなどと当然のように思われている世の中は「はっきりいってかなりやばい世の中」とも言っているが、私はこれらの意見に全面的に同感だ。
●ホリエモンの論理
しかしながら、ホリエモンが言いたかったのは、じつはまったく別の種類のことだったように思われる。「スクープや一次情報が社会的に価値がない」などということではなくて、たんに「もう儲からない」と言いたかっただけではないのか。げんにホリエモンは神保氏の質問に対する答えのなかでこう言っている。
「一次的な情報の価値は変わってきた。むかしはスクープ記事をとれば新聞がたくさん売れたが、いまはそうではない。情報はネット上でたちまち広く伝わる。だから、金銭的価値としては重要ではない」
スクープ雑誌の幹部たちも、「スクープやスキャンダルを載せても以前のようには売れなくなった」と口をそろえて言っている。経済的な事実としてはおそらくホリエモンの言うとおりだろう。おもしろいニュースはネットをはじめほかのメディアでも間髪入れず取り上げられ、たちまち広まってしまう。一次情報やスクープの商品価値は下がっている。
とはいえ、神保氏の言うとおり、一次情報は自然に湧いてくるわけではない。誰かが伝えるからこそ存在するというのは言うまでもないことだけど、じつはそうしたことは急速に意識されなくなっている。昨年、「イラクに行ったフリージャーナリストたちは拉致される危険性があるのになぜ行くのか。ばかみたいだ」と学生が言うので、「だって危険でも誰かが取材しなければそこで何が起こっているかわからないじゃないか」と答えたところ、「これまでそんなことを思ってもみなかった」という学生がいっぱいいて唖然としたことがある。しかし、実際のところこうした学生が特別でも、またホリエモンが妙というのでもなくて、情報が氾濫していることもあって、こうした雰囲気は蔓延しているのだろう。「株主に利益を還元すること」、つまり儲けることを価値基準にしているホリエモンが、コストをかけて一次情報やスクープを集めなくても安く買えばそれでいいじゃないかと思うのは自然の成り行きかもしれない。本人もそう思ったからこそ、ジャーナリストたちのまえでも平然と言ったのだろう。
しかし、そう思うことと、外国特派員協会でジャーナリストたち相手に平然とそれを口にすることとはじつはまったく別問題である。「一次情報に価値がない」ということが経済的には言えたとしても、こうした経済の論理で誰もが仕事をしているわけではない。経済の価値尺度とは別の次元で日々格闘しているジャーナリストたちに対して、経済の論理で彼らが納得すると思う無邪気さと無神経さはかなり深刻だ。話があちこちに言って明快でなかったからよかったようなものの、そうでなければ反発はもっとも大きかったはずだ。こうした言動を繰り返しているのだからニッポン放送の社員が反発するのは当然だろう。
他人がどう思うか考えず我が道を行くというのは若者の特権かもしれないが、5年後10年後のホリエモンは、相手の考えを見通して行動するすぐれた経営者になっているのだろうか。それとも自分の考えをただ押しつける何ともいやなやつになっているのか。はたしてどちらだろう。
*
ラジオの広告収入はインターネットにも抜かれ危機的だけれど、危機的でこのままやっていけないからこそ、じつはいまラジオがおもしろいのかもしれない。ラジオもデジタル放送の開始が予定され、激変が迫っている。次回も電波の世界の大きな変革についてもう少し追ってみたい。
関連サイト
●ビデオジャーナリスト神保哲生氏の『ビデオニュース・ドットコム』 http://www.videonews.com/ とウェブログ http://www.jimbo.tv/ 。外国特派員協会の3月3日の記者会見に続いて、東京地裁の仮処分決定後に行なわれた3月11日の堀江社長の記者会見もノーカットで載っている。カットされた恣意的な放送と異なるこうしたビデオ映像は貴重だ。3月11日の会見はライブドアのサイトにも載っているが、ニッポン放送を通して得られる権利を駆使すれば、ライブドアはより広範にこうした映像を流すことが可能になる。
●毎日新聞の「堀江社長との一問一答」 http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20050305k0000m020153000c.html 。メディアについての堀江氏の発言を読むと、この人は勘はいいけれど、メディアについてほとんどまともに考えたことがないという気がますますしてくる。考えてなくてもまあいいけれど、自分の考えがかならずしも普遍性のあるものではないと思っていないらしいのが、いちばんの問題だろう。
●ニッポン放送のサイトのトップページに掲げられた「経営権に関するニッポン放送社員の声明文」 http://www.1242.com/info/seimei/ 。この声明文について高名な経済学者が、「株主から経営を委託される存在の経営者を社員が選ぼうとするのは越権行為だ」とテレビで批判していたけれど、テレビで見ているかぎりDJ出身の亀淵社長はいかにもいい人そうだし、もしニッポン放送の社員でホリエモンとどちらを社長に選ぶかと言われたら、実際問題「亀ちゃん」のほうを選ぶ人が多いのではないか。
●ジャーナリストの佐々木俊尚氏がウェブログ http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/ で書いているテレビ業界の考え方や堀江氏についての意見もおもしろい。年間売上高4550億円のフジテレビにたいし、ライブドアはポータルサイトからは30億円台の売り上げしかない。いくら相乗効果を力説しても、フジテレビが食指を動かすとは思えない(3月1日)というのはマトをついた指摘だ。
追記
いつものように、この原稿は10日前ぐらいに書いたものだけど、フジテレビは死にものぐるいでライブドアの手を逃れようとしているし、ニッポン放送の著名な出演者たちは、ライブドアが経営するのなら番組を降りると言い始めたし、空っぽ(に近い)のニッポン放送がライブドアの手もとに、というのはまったくありえないことではなくなってきたのかもしれない。
ホリエモンはともかく、ライブドアの報道部門の人たちは、やはり記者クラブのことを考えているらしくて、「<ライブドア>気象庁記者クラブに加盟申請」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050324-00000118-mai-soci といった動きも出てきた。