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(回答先: 医療制度を破壊して、誰が利益を得るか。 投稿者 NJ 日時 2005 年 3 月 21 日 02:48:49)
数年前マイケル・ムーアはインタビューで「日本に行ったら、日本の社会構造を勉強したい」と言っていました。
「日本では誰かが病気になれば周囲が医者を呼んでくれる。そこがまるで違う。もしアメリカで病気になったら、”薬でも飲んで勝手に治せ””家を売って治療代を作れ”、せいぜいそんなところだ」と。
マイケルは2003年に訪日する予定だったのですが、『Stupid White Men』を書いてネオナチに命を狙われているということで(これは宮台真司氏が言っていました)来れませんでした。(^^;
「アメリカという社会は、日本から見ると自由と平等・そして実力主義の社会というふうに見える。しかし、その実態は、わずか一握りの人々の利益のために、日々、何万人という社員がクビになり、会社が売り飛ばされ、解体されている社会なのだ。早い話が、ほんのわずかな人々の利益のために、大多数のまじめに働く人間が、踏み台にされる社会なのである。
私は、そのアメリカの歩んできたおかしな道を、決して日本には歩んでいってほしくはない」(ビル・トッテン氏)
「数年前、名前は言えないが、アメリカのある元上院議員が来日し、駐日大使と面会した。僕と仲がいい人だったので、大使に会う前に『大使に伝えてほしいことがありますか』と聞いてくれた。僕は『アメリカは日本に圧力をかけすぎる。その反感は僕みたいな日本で商売をしているアメリカ人に向けられるから勘弁してくれと伝えてください』と言った。そうしたら、元議員によれば大使は笑ってこう言ったんだそうです。『われわれが日本の政治家や官僚にいくら非常識なこと、絶対に断ると思ったことでも、要求したら彼らは降参する。もしわれわれが要求しなかったらほかの国が要求するだろう。日本は“取り放題の国”だ』と。アメリカ政府がいかに日本人を軽蔑しているかということです」(同)
思うに日本では、欧米人に媚び諂う人ほどアジアの人々に対しては逆に馬鹿にした傲慢な態度をとることが多いような感じです。
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「月刊宝石」 1999/08号より
アジアの国々から見えた日本の尊き価値観 野村進(稿)
長期のアジア取材から帰国するたびに実感するのは、日本を覆っているペシミズムの重苦しさである。
かつて詩人の金子光晴が評したとおり、日本は昔から「寂しさに蔽はれた」国だったのかもしれないが、それにしてもこのペシミズム、いささか度を過ごしているような気がする。
たとえば、おととし経済が破綻し国そのものが破産寸前だったタイで私が見たものは、「マイペンライ」(どうにかなるさ)と田んぼの稲を見やる農夫たちの笑顔だった。スハルト独裁が引っ繰り返るさなかのインドネシアでさえ、人々には意外なほどの気楽さがあった。通貨ルピアの価値が日本円で言うなら一ドル=七百円とか八百円に暴落してしまったのに、自殺者が相次いだなんていう語はついぞ聞かなかった。
”アジア経済危機”でいちばん暗い顔をしているのは、経済危機の実害がいちばん少ない、ほかならぬわれわれ日本人なのだった。
日本以外のアジア、とりわけ東南アジアの人々のあの楽観はどこから来るのだろうかと考えたとき、私のまぶたに浮かぶのは、青々とした稲穂の広がる水田と、その背後にひかえる熱帯雨林の深さである。カンボジアには「池に石を投げれば魚に当たり、木の下にいればくだものが落ちてくる」という言葉があるが、それくらい自然の豊かさに恵まれているアジアの大半は、依然として広大な農村社会なのである。
都市化した日本のイメージで”アジア経済危機”を見ると、とんでもない見当違いをすることになる。自然と日常とが切れていないぶん、アジアの人々には地に足を着けた確かさがある。
かといって、いまさら農業を中心とした産業構造に日本を戻せと言うつもりは、さらさらない。私は、日々の生活の”都市的”なものをいくらかでも自然に近づけるように、徐々に変えていってはどうかと思う。クルマよりは自転車を、インターネットよりは緑陰の散策を、バイアグラよりはまむし酒を(これはジョーク)。
あるアメリカ人作家に「田舎で生まれて田舎で育ったということは教育の最良の部分だと思う」という言葉があるが、そう言えばアジアのほとんどの地域では”学級崩壊"も”少年A”の事件も起きていない。
もちろん日本以外のアジアに長くいたからこそわかる、日本のよさも多々ある。
インドには「カースト」という階級制度があるが、実は日本以外のアジアの大半は、「カーストなきカースト社会」と言ってもいいほどの階層社会なのだ。人々は、民族、宗教、職業、居住地、貧富、それに男女の差などによる階層で、幾重にも厳しく分断されている。
日本に近いと思われている韓国でさえ、飲食業蔑視などの職業差別は日本の比ではない。フィリピンの大農園主の一家と、マニラのスラムに住む一家とでは、これが同じフィリピン人かと思うほど顔つきも体格も異なる。先ほどの記述と矛盾するようだが、インドネシアではスハルト体制崩壊後の混乱のなかで、民族や宗教上の対立が集団同士の殺し合いにまでエスカレートし、殺害した敵をさらし首にする事件が頻発した。
アジアの後進性を私は言おうとしているのではない。階層が違えば人を人とも思わぬメンタリティを、少なくとも戦後これまでの日本人が否定してきたことの尊さを強調したいだけだ。
「人権」や「平等」といった、最近の日本では軽視されがちな、いやしばしば揶揄や嘲笑の対象になりさえする価値観が、どれほど得難いものであるかを、日本を長く離れてみて初めて痛感するからである。
私の知人に、インドで十余年も柔道を教えている青年がいる。インド北部のその地域では、カースト間の軋轢のほかに、ヒンドゥー教とシーク教との宗教間の対立があり、血なまぐさい抗争もたびたび引き起こしてきた。そのようなカースト、宗教、さらに男女の違いがあるさまざまなインドの子供や青年たちが、彼のもとに柔道を習いにやって来る。
柔道は肌と肌とが触れ合い、息や汗が直接相手にかかる競技である。最初のうち、子供たちはカーストや宗教、性別の違う子供とは、乱取りで組むことすら嫌がったという。しかし、その日本人青年に「柔道場の中ではみんな平等なんだ」と繰り返し説かれるうちに、カーストの違う子供同士も、ヒンドゥー教徒とシーク教徒の青年たちも、男子と女子の生徒も、いつのまにか組み合って稽古するようになっていった。
かの日本人青年は、とりたてて「人権」や「平等」を日本で学んだわけではなかろう。戦後の日本で育つうち、自然と身につけたものであるにちがいない。
だが、それをインドの子供たちに伝えられるほど血肉としている、そのことの貴重さを、われわれ日本人はもっと自覚していい。
日本でも貧富の差が拡大しつつあるいまだからこそ、私たちが戦後半世紀以上をかけて営々と培ってきたものの掛け替えのなさに、もう一度目を向けるべきではないか。
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