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(回答先: 「はっきりいって、大臣のいっていることは、論理的にも無理がある」(運輸省)…”利益第一主義”の先導役だった役所 投稿者 外野 日時 2005 年 5 月 13 日 19:57:26)
『月刊・現代』2004年2月号には、池田大作の側近であり公明党常任顧問でもある藤井富雄東京都議が後藤組組長に、創価学会に対して批判的な亀井静香自民党代議士を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを魚住昭(元共同通信社記者のジャーナリスト)が書いていますが、その場面を撮ったビデオテープを亀井静香当人が所持しているらしいです。
後藤組は富士宮で、オウム教と創価学会双方に関わり大きくなった組織。一説には日本の闇世界を支配するまでになっているとも。伊丹十三をカッターナイフで襲ったのはこの後藤組系富士連合。
藤井富雄というのは、昭和43年に創価学会・公明党の集団替え玉投票事件では中心的な地区となった東京新宿区で、都議を11期つとめている議員。
※参考
■集団替え玉投票事件
創価学会は1968年(昭和43年)7月の参議院選挙において、投票率が低く、住民の移動も多く(従って替え玉投票をしてもバレにくい)、アパートなどの郵便受けに選挙投票券が入れたままになっていることが多い新宿区や世田谷区などを中心に、投票券を持ち去り替え玉で公明党に票を入れる「集団替え玉事件」を起こした。
「創価学会では、この時の選挙で、全都内でこうした投票券を使っての詐欺投票を行ない、新宿区、世田谷区、その他各区で検挙され、多数の有罪者を出した。その総数は、組織内調査の結果、二万を下らなかったと記憶している」
その頃、創価学会の顧問弁護士だった山崎正友は、そう『懺悔の告発』に記している。
この替え玉投票は、事前に投票券の本当の所有者の生年月日などを確認し、しかも年格好の合った学会員を使うという悪質極まるものだった。
投票当日に、自分の名前で誰かが既に投票していることなどを知った人などが出たことから、事件は表面化し、警察が指紋照合や聞き込みなどを行い、近くに住む創価学会員が割り出され、捜査は創価学会に向かった。
ついに検察は、アパートの住民及び前住民などの不在投票者総てをチェックする方針を固めた。創価学会は、北條浩、竹入義勝など、創価学会・公明党の全幹部、弁護団を動員しもみ消しに走っていたが、それを知りパニックに陥ったという。
顧問弁護士として事件の処理を受け持っていた山崎正友も、逮捕された学会員が総てを供述し始めたため、証拠隠滅工作容疑で逮捕状を執行されそうになったという。
「竹入委員長は、警視庁首脳とサシで会い、『共産党と本気で戦う我々を見殺しにすると、日本は大変なことになる』と訴え、創価学会の生命乞いをした。
その結果、検察庁側からの捜査要請を警視庁が拒否するという異例の形で、事件拡大は辛うじて防がれた。
この時、警視総監のお目こぼしと検察の断念がなかったら、今頃、公明党は存在していない」(『懺悔の告発』山崎正友著)
創価学会=公明党は、《言論弾圧事件》でも、田中角栄、笹川良一などを使って相手の懐柔につとめたが、この時もそういったような人脈が動いたのかもしれない。
投票日の翌日の7月8日、池田大作は創価学会の外郭企業社長を集めた『社長会』で、次のように言っている。
「警察だって動かしているのは竹入、井上だよ。龍なんかおどすだけで味方にならない。竹入の一声だよ」
創価学会=公明党は、国政に進出してから今日まで、ずっと参議院法務委員長のポストにあり、1965年の参院選で大量の選挙違反者を出した時には、竹入義勝が警察首脳にこう脅しをかけた。
「このまま捜査を拡大させるようだと、警視庁の予算、とくに機動隊の予算を、大幅に削るぞ」
この時も事件はもみ消され、池田は竹入らをねぎらった。