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(回答先: 北方事件で松江被告に無罪・佐賀地裁で判決公判(佐賀新聞) 投稿者 シジミ 日時 2005 年 5 月 10 日 20:52:30)
http://www.nishinippon.co.jp/img/news/gougai/g050510.html
佐賀県北方町の山中で一九八九年、女性三人の他殺体が見つかった事件で、殺人罪に問われ、二人の事件で死刑、残る一件で無期懲役を求刑された同町出身の住所不定、無職松江輝彦被告(42)の判決公判が十日午後、佐賀地裁で開かれ、坂主勉裁判長は無罪を言い渡した。松江被告は最初の事件の時効完成約一カ月前に逮捕されたが、犯行を認めたとされる上申書の証拠申請が公判で却下される異例の経過をたどっていた。死刑求刑事件での一審無罪判決は極めて異例。
松江被告は逮捕されてから一貫して無罪を主張。遺体発見から約十カ月後、別件で起訴拘置中の任意の取り調べで三人の殺害をいったん認めたとされた上申書も昨年九月、同地裁が「違法な取り調べだった」と証拠不採用を決めた。
立証の柱と位置づけていた上申書が不採用となった検察側は、状況証拠を積み重ね、松江被告は(1)被害者の吉野タツ代さん=当時(37)=の交際相手で、行方不明になる直前に吉野さんの車と被告の車が佐賀県武雄市内のボウリング場で目撃されていた(2)吉野さんの遺体に付いていた唾だ液えきのミトコンドリアDNAの型が被告と一致した―などと指摘し、「被告が殺害したとしか考えられない」と主張。ほかの二事件についても吉野さんと同じ場所で遺体が発見され、殺害方法も同様であることなどから「松江被告の犯行」としていた。
弁護側は「三事件とも被告に殺害動機はなく、事件と本人を結びつける証拠はない」と全面無罪を主張していた。
最初の藤瀬澄子さん=当時(48)=殺害事件と二件目の中島清美さん=同(50)=殺害事件の間に、松江被告は覚せい剤取締法違反の罪で有罪が確定したため、刑法の併合罪が適用できず、検察側は、確定前の藤瀬さん事件で無期懲役、確定後の中島さん、吉野さん殺害の二件で死刑を求刑していた。
■上申書の証拠価値認めず
【解説】北方事件の佐賀地裁判決で、松江輝彦被告が起訴された三件の殺人罪についていずれも無罪となった最大の理由は、検察側が立証の柱としていた被告の上申書に、証拠価値が認められなかったことだ。
一九八九年に別件で起訴拘置されていた松江被告は、佐賀県警による任意の取り調べ中に書いた上申書で三人の女性の殺害を「自白」し、経緯や動機なども記した。しかし被告が殺害を認めるまでの十七日間、一日平均十二時間半もの事情聴取が行われた。
地裁は「任意の限度を超えた取り調べの中で、取調官の誘導で作成された」と、自白の任意性を否定、上申書を証拠に採用しなかった。
松江被告が否認に転じた後、捜査当局は乏しい物証や証言による立証を余儀なくされた。県警が証拠品を紛失するミスも重なり、検察側は終始苦しい対応を迫られた。
判決は、決定的な物証がない中、自白獲得に偏重し、長時間の取り調べを続けた県警の捜査手法を厳しく戒めた形だ。
■北方町連続女性殺人事件の経過
1987年7月8日 藤瀬さんが仕事帰りに同僚と飲食後、行方不明
88年1月5日 覚せい剤取締法違反の罪で松江被告の懲役1年2月の実刑判決が確定
88年12月7日 中島さんが「バレーボールの練習に行く」と言って外出後、行方不明
89年1月25日 吉野さんが電話で呼び出された後、行方不明
27日 佐賀県北方町志久の山林で3人の遺体発見。佐賀県警は殺人事件として捜査本部を設置。30日まで4日間、松江被告を事情聴取したが否認
10月3日 佐賀県警が松江被告を覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕
11月11日 佐賀県警が拘置中の松江被告を任意で取り調べ、3女性の殺害を認める上申書を作成。その後、否認に転じた
29日 覚せい剤取締法違反の罪で松江被告に懲役1年6月の実刑判決
30日 松江被告が殺害を否認する上申書を作成
2002年6月11日 佐賀県警が吉野さん殺害事件で松江被告を逮捕
7月2日 吉野さん殺害事件で松江被告を起訴。藤瀬さん殺害事件で再逮捕
7日 藤瀬さん殺害事件で起訴
9日 中島さん殺害事件で再逮捕
30日 中島さん殺害事件で起訴
10月22日 佐賀地裁初公判。松江被告が無罪を主張
04年9月16日 佐賀地裁は松江被告の上申書の証拠請求を却下
05年1月20日 検察側は松江被告に中島、吉野さん殺害で死刑、藤瀬さん殺害で無期懲役を求刑
2月17日 弁護側が最終弁論で「冤罪」を主張し結審
5月10日 佐賀地裁で無罪判決
■北方町連続女性殺人事件
1989年1月27日、佐賀県北方町志久の大峠付近の山林で女性3人の他殺体が見つかった。被害者の同県武雄市武雄町、藤瀬澄子さん=当時(48)=は87年7月、北方町志久、中島清美さん=同(50)=が88年12月、同町大崎、吉野タツ代さん=同(37)=が89年1月にそれぞれ行方不明になっていた。佐賀県警は遺体発見から13年後の2002年6月に吉野さん殺害事件で松江輝彦被告(42)を逮捕。他の2人の事件でも再逮捕し、佐賀地検は3件とも殺人罪で起訴した。藤瀬さん事件の起訴は時効完成の約6時間前だった。
【北方事件】既投稿
上申書めぐり攻防へ=否認貫く被告−3女性殺害事件・佐賀(時事通信)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/231.html日時 2003 年 10 月 18 日
佐賀連続殺人 自白の上申書 大部分を証拠不採用 佐賀地裁 他に有力物証乏しく
(西日本新聞)
http://www.asyura2.com/0406/nihon14/msg/454.html日時 2004 年 9 月 16 日