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Re: こんなのもあります。
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投稿者 信仰者777 日時 2005 年 4 月 26 日 01:15:37: uliv63iB.y04I

(回答先: 福知山線事故を巡る放送中止といくつかの情報。 (勝谷誠彦) 投稿者 倉田佳典 日時 2005 年 4 月 25 日 22:01:37)

トレンドマイクロ、山タク氏勝利、郵政改革手打ち、人権擁護法案、人民元切り上げ。。。
日本はまさに内憂外患、波瀾万丈ですね。
そういえば、昨日は、拉致家族による『北朝鮮経済制裁を』集会もありましたね。
明日は、小泉氏執念の郵政民営化VS野中氏怨念の人権擁護法案の一騎撃ち。
同時多発テロ、、、なんて、仮説想像するだけでも怖いのですが、日本はとっくに
戦線布告されテロ攻撃が始まっているのかもしれない。
『ラスコーリ、、』に従えば、次は悪夢のサリン事件が甦ります。
毒ガス、生物兵器、、、?水源とか狙われたりもするのでしょうかが、皆様どのように
正気を保ってらっしゃるのでしょう。

参考
田中宇『マンガンパラダイス』
佐々木敏『ラスコーリニコフの日』
http://www.akashic-record.com/raskol/n.html

■国鉄爆破計画〜シリーズ「元共産党員の超大物」(4)■
【前回より続く。】
田中宇『マンガンぱらだいす』風媒社95年刊)が指摘する、終戦直後日本共産党にいて
(自身は日系日本人だが)当時の朝鮮系共産党員(のちの朝鮮労働党員)と行動をともにして
いた、95年現在「バリバリの自民党(国会議員)」を「X」とする。そして、Xとよく似た
プロフィールの超大物政治家を「X'」とし、このシリーズでは両者が同一人物か否か
(X=X'かX≠X')を検証している(なぜ人名の特定に慎重なのかは「タブーを破るための
4項目」を参照)。

『マンガン…』が暴露したXの軌跡と、公表されている終戦前後のX'の経歴を年代順に
整理する。
【※はX関連。他はX'】

1943年04月:X'、大阪鉄道局に就職
1945年01月:X'、陸軍に召集され四国各地で訓練
1945年08月:終戦。米占領軍司令部(GHQ)による日本統治開始
X'は復員し、大阪鉄道局に復職
1945年10月:GHQ、治安維持法(思想犯の取締り)廃止
1950年04月:蜷川虎三、日本社会党公認、日本共産党推薦で京都府知事に初当選
1950年06月:北朝鮮軍が韓国を侵略、ソウル陥落(朝鮮戦争勃発)
1950年09月:在日米軍、仁川上陸作戦に成功し韓国上陸
1950年10月:国連軍(米韓が中心)ソウルを奪回し北朝鮮に侵攻。平壌陥落
中国、軍事介入し国連軍による半島統一を妨害。平壌を奪回
1951年01月:北朝鮮軍と中国軍によりソウル再陥落
1951年03月:国連軍、ソウル再奪回
1951年04月:X'、S町議会議員に当選
1951年09月:サンフランシスコ講和条約と日米安保条約、締結
【※この頃、朝鮮人鉱山労働者、山陰線鉄橋爆破を計画】
【※この頃、XはS町の「革命細胞」で上記朝鮮人らと会合】
【※この頃、上記朝鮮人ら、京都府精華町の米軍弾薬庫爆破を計画】
【※この頃、上記朝鮮人ら、京都府日吉町の天若ダム(八木町の発電所)爆破を計画】
1952年01月:札幌市警(当時)警察官射殺事件
1952年02月:国鉄青梅線で貨車暴走事件。京都で警官隊とデモ隊が衝突(十数人負傷)
警察当局、3件のテロ(札幌、青梅線、京都)を日本共産党の犯行とみなして党員摘発に注力
1952年03月:X'、大阪鉄道局を退職
1952年04月:日本共産党支配下の「京都府青年団連合会」(京青連)総会。最初の「決別(反共)宣言」
サンフランシスコ講和条約発効(日本独立回復)。安保条約も発効
1952年05月:X'ら京青連を脱退し「京都府青年協議会」(京青協)を結成(初代会長はX')
1952年07月:日本共産党らのテロ活動を取り締まる目的で破壊活動防止法、制定
1953年04月以降:X'、保守系代議士・田中好の私設秘書に
1953年07月:朝鮮戦争休戦協定
1954年、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)など日本共産党傘下の朝鮮人団体、解散
民戦らは在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に改組され、朝鮮労働党(北朝鮮の独裁政党)傘下に
1958年11月:X'、S町長に僅差で当選(無所属で立候補し、社会党支持者の票も獲得)
このあと、X'は京都府の町村長を蜷川支持でまとめる「町村会」の会長に就任

1973年03月:X'、府議会で鉄道局退職の理由は「出身階層に基づく差別」と告白演説

『マンガン…』は、50〜52年頃、日本共産党を上部組織とする組織、在日朝鮮人連盟
(朝連)や在日朝鮮統一民主戦線(民戦)に参加していた在日朝鮮人らの証言を載せている。
その1人、マンガン鉱山労働者のイ・ジョンホ(李貞鎬)によると、「(95年現在)自民党国
会議員のXも、当時はバリバリの共産主義者」で、京都府S町の細胞(暴力革命の行動単位)
のキャップだったので、Xと一緒に細胞会議をしたこともある、という(田中前掲書p.234)。

元共同通信記者の魚住昭によると、X'の父は、最下層民の出身(ながらS町でほとんど唯
一の自作農で、比較的裕福)だったので近郷近在で、元受刑者や朝鮮人の「救済活動」に
熱心だったようだ。S町周辺にはマンガン鉱山がたくさんあり、そこで働く朝鮮人は貧し
かったので、彼らの娘をX'の父はX'の弟らの子守りに雇ったという(講談社『現代』(03年
3月号p.94)。

つまり、田中と魚住の取材はぴたりと符合して、矛盾がない。よって、99%の確率で
「X=X'」と判断できる。

そのうえで田中の『マンガン…』を再度読むと、Xと細胞会議をともにした李貞鎬は、
上記の年表のとおり鉄橋、弾薬庫、ダム(発電所)などの爆破テロを計画していたことが
わかる(田中前掲書p.p 233-235)。

李貞鎬は、テロ計画にXが参加していたとは明言していない。が、当時の日本共産党は
武力革命(テロ)を起こすと宣言しており、Xが細胞のキャップなら、テロ計画に関与しな
かったはずはない。
とくに鉄橋爆破計画の場合は、関与しないほうが不自然だ。

●内通者が必要●
なぜなら、鉄道へのテロには内通者が不可欠だからだ。たとえばこんな事件があった。
85年11月、首都圏、関西などの国鉄の通信・信号ケーブルが切断されて、首都圏の国電
全線区と関西の主要2線区で始発から通勤電車の運転ができなくなり、大混乱に陥った。警視庁など警察当局は、国鉄の分割民営化に反対する極左過激派「中核派」による同時多
発ゲリラ事件と見てただちに摘発を開始した(朝日新聞85年11月29日付夕刊1面)。
当時筆者は(それまでは過激派のことを単なる左翼学生の「はね上がり」と思っていたが)
犯行グループの中に鉄道のプロ(元鉄道員)がいるのではないか、と疑った。たとえば筆者
がいくら左翼思想にかぶれ、国鉄の分割民営化に反対だったとしても、国電のケーブルが
どこを走っていて、どれを切ると電車が止まる、といった業務上の知識がない限り、こん
なテロは絶対に思い浮かばないからだ。

案の定、国鉄内部に共犯者がいた。別のテロ(総武線浅草橋駅焼き討ち事件)ではあった
が、逮捕された犯人のなかに、国鉄職員2名が含まれていたから(朝日新聞85年12月6日
付朝刊23面)ケーブル切断にも(現役職員は関与していなくても)少なくとも元職員が関与
したことは確実になった。ビルの放火や爆破と異なり「鉄道の運行を止める」テロには
、鉄道業務経験者しか知りえない高度な知識が必要なことが確認されたのだ。

89年12月、渡部恒三・国家公安委員長は「過激派の活動に公務員を参加させないように
(各省庁で)職員管理の徹底」が必要と述べたが(朝日新聞89年12月19日付夕刊10面)これ
は、85年の成田空港反対闘争や国鉄同時ゲリラ事件に国鉄職員(OB)が関与しており、国
鉄労組がテロリストの供給源になっていることを念頭に置いた発言だ。

●テロリストXの誕生●
京都府北部には、戦時中日本海に面した重要な軍港だった舞鶴港があり、朝鮮戦争が始
まると、そこから軍需物資が搬出され、朝鮮半島に上陸した米軍に補給された。そこで、
当時京都府内にいた在日朝鮮人の共産主義者らは、米軍と戦う北朝鮮軍の支援には、米軍
用の物資搬出を阻止するのが最善と考え、舞鶴港に物資を運ぶ山陰線の、鉄橋爆破を計画
した(田中前掲書p.234)。

X(=X')は、弟の子守りを「マンガン鉱山労働者の朝鮮人の娘」にしてもらっていたのだ
から、人脈的には李貞鎬らの共産主義者と相当に近く、李貞鎬が鉄道テロを計画する場
合、Xに相談しないのは不自然だ。

というより、鉄道の仕事に就いたことも、軍隊で物資輸送を務めたこともない「素人」
の李貞鎬が(弾薬庫やダムと違って鋼鉄でできていて頑丈な)鉄橋の爆破などいう、鉄橋の
構造や軍需物資輸送の重要性を知り尽くしていないと不可能なテロ計画を発案するとは考
え難い。素人なら、鉄橋よりも爆破しやすい、平地の線路や駅の攻撃ぐらいしか思い付く
まい(たとえば52年の青梅線のテロ犯は、貨車の暴走しかできなかった)。が、鉄道のプロ
であるX'は「それでは、すぐに復旧してしまうので、米軍の物資輸送にダメージはない」
と判断できる。

また(日本軍は米軍と違って物資輸送を重視していなかったから第二次大戦に負けた、
という説もあるくらいで)「物資輸送を断てば米軍に勝てる」などと発想する者が、当時
の日本の「民間人」にはほとんどいなかったことも、徴兵経験のあるX'の関与をうかがわ
せる。

他方、終戦後大陸でソ連に抑留され(共産思想に洗脳され)た日本兵捕虜のなかに、南満州
鉄道(満鉄)の労働者が多数含まれており、彼らが復員してくると日本政府は失業対策の意
味もあって次々に国鉄で雇い入れた。このため国鉄の労働組合は極左暴力思想に冒され
(上記の渡部の指摘のように)戦後は違法ストを繰り返し扇動する共産圏のスパイや過激派
の温床となった。

【「スパイが電車を運転してる」と聞くと国民がこわがって国鉄に乗らなくなるので、
これは戦後の日本のマスコミではタブーとされた。分割民営化とは一面では、政府が、
国鉄に2つあったおもな左翼系労組のうち1つを寝返らせて取り込み、他の1つを壊滅させ
る「労組分断策」でもあった。
政府は、1つの有力労組の組合員には民営化後のJRへの再就職を約束して懐柔し、もう
1つの有力労組は差別して、国鉄の「分割」を口実に、組合員(とくに幹部)を解雇した
り、国鉄時代の勤務地(たとえば東京)から遠い新会社(JR九州)へ異動したりして、組合組
織をズタズタにした。明らかな「不当労働行為」だが、当時の中曽根内閣はスパイ一掃の
ため「確信犯」で違法な差別人事を断行し、極左系労組幹部を路頭に迷わせた。なんの良
心の呵責も感じなかった。】

こうした事情から、鉄道テロは、終戦直後から左翼の有力な闘争手段だった。52年の青
梅線貨車暴走事件もこうしたテロの一環であり、当時の左翼はより効果的なテロのため
に、鉄道事情に精通した共犯者を必要としていた。

したがって、京都府内で計画された3つのテロのうち、鉄橋爆破は、朝鮮人共産党員では
なく、ほかならぬXが発案したのではないか、と筆者は推定する。なぜなら、X'(≒X)は戦
中戦後大阪鉄道局(業務部審査課)に勤務して鉄道事情に精通しているうえ、当時の復員軍
人の輸送業務や駅員への指導を通じて「大陸帰りの工作員」と接触しやすい立場にあり
(『現代』03年3月号p.105)しかも終戦のときは四国山中で所属部隊の「物資輸送」に従
事していたからだ(同p.103)。
X'は魚住に、終戦直後、復員して京都駅で浮浪者の群れを見たときの心境を(うっかり?)
語っている:

「ひょっとしたら革命が起きるかもわからん……もう少し世の中の動きを見てみようか
と思ってね。友だちの家を1週間ほど泊まり歩いた」(『現代』03年3月号p.104)

このとき、S町随一の高学歴で、家族と郷土の期待を担って出世しなければならない運命
に生まれついたX'の脳裏に「共産党員として出世する」という夢がよぎったことは間違い
ない(このとき泊まり歩いた「友だち」には、弟の子守りをしていた、朝鮮人女性の親類
縁者の、李貞鎬のような共産主義者が含まれていたに相違ない)。共産主義が自由主義よ
り劣ることは21世紀の現代では自明だが、終戦直後の日本ではそうではなく、「強大な
大日本帝国が敗れた」という喪失感から正反対の未来を展望する者も少なくなかったか
ら、X'が共産思想に染まったとしても、むしろ当然だった。

●府議の言い訳●
半世紀前の日本の公務員事情はいまとかなり違ったようで、51年4月、X'(≒X)は大阪鉄
道局に勤務したまま、故郷のS町の町議会議員選挙に立候補して当選し、以後「二足のわ
らじ」を履いた。が、翌52年3月、X'は鉄道局を退職する。


退職の理由は、X'の出身階層に基づく差別だった……と(不思議なことに21年後に)X'は
73年の京都府議会本会議場で自民党の府議会議員として演説している。

魚住によると、X'は優秀な職員で、どんどん昇給したため、あとから復員してきた先輩
職員にねたまれたから、となる。20代半ばに早々と係長を抜き、課長補佐に近い額の給
料を得たX'に対して、52年頃「X'は最下層民だ」という陰口がささやかれるようにな
り、それを苦にしてX'は52年3月に鉄道局を退職した、という(『現代』03年3月号p.105)。

が、別の理由がありうる。
退職直前の52年2月には、青梅線で鉄道テロがあり、京都では警官隊とデモ隊の大規模
な衝突事件が起き、いずれも日本共産党が関与したと警察当局は疑っている。しかも、前
年4月のS町の町議選ではX'という鉄道員が当選しているのだ。この時点でX'はまだ最初
の「反共(決別)宣言」をしておらず、京都府下の町村議会議員は全員、自動的に共産党の
影響の強い「京都府青年団連合会」(京青連)に加盟していたから、警察当局は当然、X'を
「今後、共産党の指導を受けて鉄道テロを行う可能性のある要注意人物」と見て摘発しよ
うとしたはずだ。

【58年のS町長選挙のときまで、X'が社会党支持者などの「左翼票」を得ていたことは
確実なので(『現代』03年4月号p.115)51年のS町の町議選でも左翼票を得て当選したこ
とは間違いない。したがって52年当時、警察当局にはX'を共産党の党員またはシンパと
疑う合理的な理由があった。】

筆者は断定する。X'の鉄道局退職の理由は差別ではない。52年2月の時点で、現役の鉄
道局職員にして日本共産党員だったX'(=X)は、S町周辺在住の朝鮮人共産党員とともに、
鉄橋爆破という(思想犯ではなく)正真正銘の非合法活動(凶悪犯罪)を計画し、それが摘発されそうになったのであわてて計画を中止し、鉄道局を退職したのだ。

ただ、退職の理由が「共産党員と疑われたから」となると、今後も警察にマークされるし、当時の日本政界では「出世」も「天下取り」も望めない。
すでに51年の、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の締結で、日本は米国を盟主とする西側自由陣営に組み込まれていたし、朝鮮戦争では「共産革命勢力」が米軍をなかなか圧倒できそうになかったから、日本で共産革命が起きる可能性も(終戦直後にX'が京都駅で予感したほどには)高くなかった。とすると、共産党員であることは政界での出世(たとえば大臣になること)の足しにならないばかりか、再就職して生活費を稼ぐうえでも(警察に追われるので)障害になりかねない。

X'は、自身に今後「共産党在籍疑惑」が降りかからないように、急遽別の退職理由を捏
造する必要に迫られた。そこで思い付いたのが「自分は最下層民の出身で、それで差別さ
れたから辞める」というものだった。この捏造は簡単で、だれかに頼んで職場に「X'は最
下層民」という噂を流してもらうだけでよい。

この噂は事実に基づいているから簡単に広まる(但し小誌「『被差別』の虚像」で述べた
ように、X'自身は、出身階層を理由に教育上、職業上の差別を受けたことは、少なくとも
この時点までは一度もない「恵まれた育ち」である)。当時の(西)日本ではこの種の差別意
識は強烈なので、職場の同僚の関心はすぐにこの問題に集まり、だれも「X'が共産党員か
どうか」などといったささいなことには関心がなくなる。カモフラージュ効果は抜群だ
(当時は、娘が共産党員と結婚するほうが、最下層民と結婚するよりましだ、と考える親
も少なくなかった)。

鉄道局退職直後の52年4月、X'は京青連大会で最初の「反共宣言」を行ったが、これは
(その後、53年の保守系代議士への接近と併せ)自身への共産党在籍疑惑を完全に払拭する
「駄目押し」のカモフラージュだったに相違ない。

●歴史の改竄●
以上で、「X'は共産党員Xだった」とすると、彼の複雑な経歴を矛盾なく説明できること
が、おわかり頂けたと思う。 にもかかわらず、『マンガン…』で田中が(イニシャルまで
暴露しながら)Xがテロ計画に関与していたことを明示しなかったのは、なぜだろう?

無理もない。
『マンガン…』が刊行されたのは95年9月だから、その取材、執筆、編集作業は94〜95
年に為されたはずで、ちょうどこの時期、X(=X')は自民党の「バリバリ」であるだけで
なく、政府の要職にあり絶大な権力を揮っていた(そのうえX'とつながりが深いと見られ
る某テロ国家が、日本でテロ集団を使ってテロをやらせた直後だった)(「要職」について
は、拙著『ラス…』を参照)。

だから、田中にしろ李貞鎬にしろ、下手なことをしゃべってXににらまれたら怖い、と
思ってXと鉄道テロとの関係を明言できなかったに相違ない。だれも責められまい。

【おそらくこの「要職」にあるとき、X'はその強大な権力を使って終戦直後のXの「捜査
資料」が残っていないか調べ、残っていた場合は抹消しただろう。】

但しX'は共産党時代にテロリストとして殺人などの重罪を犯したわけではない。鉄道テ
ロ(を含め、李貞鎬とともに計画したと思われる3件)は計画段階で中止されているのだ。

ならばX'にとって、共産党に在籍していたことは、いつまでも隠す必要はないのではな
いか。この「秘密」は(日本国内では知られていないものの)当時の朝鮮系共産党員(のちの
朝鮮労働党員)を通じて北朝鮮政府や朝鮮労働党に筒抜けだったはずだが、北朝鮮がこれ
をネタにX'を脅すことはできただろうか。

詳しくは次回以降。

■脅迫者はだれだ〜シリーズ「元共産党員の超大物」(5)■
【前回より続く。】

田中宇『マンガンぱらだいす』風媒社95年刊)が指摘する、終戦直後日本共産党にいて
(自身は日系日本人だが)当時の朝鮮系共産党員と行動をともにしていた、95年現在「バリ
バリの自民党(国会議員)」を筆者は「X」とする。そして、Xとよく似たプロフィールの
超大物政治家を「X'」とし、このシリーズでは両者が同一人物であること(X=X')をほぼ
証明した(なぜ人名の特定に慎重なのかは「タブーを破るための4項目」を参照)。

公表されているX'の経歴を中央政界入りまでまとめてみる(終戦前後から1958年までの
XとX'の軌跡はこちらを参照)。

1958年11月:X'、S町長に僅差で当選(無所属で立候補し、社会党支持者の票も獲得)
このあと、X'は京都府の町村長を蜷川支持でまとめる「町村会」の会長に就任
1966年04月:X'、京都府知事選で5期目をめざす蜷川に叛旗(二度目の反共宣言)。
1967年04月:X'、京都府議会議員に初当選、自民党入党
1970年03月:日航機「よど号」ハイジャック事件
1972年02月:浅間山荘事件
1972年09月:日中国交回復
1973年03月:X'、府議会で鉄道局退職の理由は「出身階層に基づく差別」と告白演説
1978年02月:X'、府議会で蜷川知事提出の予算案に賛成討論
1978年03月:蜷川知事引退
1978年04月:自民党の林田悠紀夫、京都府知事当選。X'は副知事に就任
1983年08月:X'、衆議院議員に初当選(京都2区補欠選挙)

前回「X=X'」(X'は元共産党員)と断定したが、今回のテーマ、つまりX(=X')が共産党時
代の非合法活動をネタに脅迫されているか、という仮説の検証はそれよりは難しい。
ただ、上記の年表は、重要な示唆を与えてくれる。

X'と「細胞会議」をともにした在日朝鮮人の日本共産党員イ・ジョンホ(李貞鎬)は、鉄橋
爆破を含む3件のテロを計画しながら実行しなかった理由を明言していないが、それは52
年7月に共産党らのテロを封じる目的で施行された破壊活動防止法(破防法)の適用を恐れ
たと解するのが自然だ。

もちろん李貞鎬は当時低学歴のティーンエイジャーで共産思想の尻馬に乗って血気盛ん
だったから、ダイナマイトは鉱山の仕事で使い慣れているので「爆破はお手のもんや」
(田中前掲書p.234)「破防法何するものぞ」と思っていたかもしれない。が、X'は当時20
代後半で、S町では町一番の高学歴で、鉄道局の管理業務も兵役も経験済みだ。
テロ計画の中止は、破防法適用を恐れたX'の「分別」による、と見るべきではないか。

破防法施行の2年前、蜷川虎三が京都府知事に当選し、その後四半世紀におよぶ「共産王
国」の歴史が始まるが、蜷川はあくまで共産党の推薦を受けているだけで、共産党員では
ない。だから、末端の党員がどんな暴力犯罪を計画しようと蜷川には破防法は適用されな
い(共産党自身も、破防法を恐れて穏健路線に変わっていく)。

ただ、京都の共産党は蜷川の力で府内全域に勢力を拡大できたのも事実であり、蜷川に
は息のかかった共産党員の「手下」もいたはずで、そういう者に命ずれば、蜷川はいつで
も府内の共産党員の資料を閲覧できたはずだ。

ところでX'は、52年に鉄道局を辞めたいきさつを、それから21年も経った73年になっ
て(それも府議会本会議という公共の場所で、記録に残るような形で)「証言」している
が、これはいかにも不自然だ。魚住によると、X'がおおやけの席で被差別体験を詳細に
述べたのは、このときだけだというから(『現代』03年3月号p.p104-105)73年の証言に
は重大な意味があると考えられる。理由はなんだろう。

X'の自民党入党は67年で、その前年に「蜷川批判」、つまり二度目の「反共(決別)宣
言」をしているが、それまでは「左翼系無所属」だった。X'の「再決別」後、日本の左翼
勢力は暴走し、醜い正体を表す。

70年のよど号事件や72年の浅間山荘事件を「赤軍派」が起こしたことにより、重信房子
ら率いる左翼過激派全体が、安っぽい正義感を振り回しで面白半分に民間人を殺傷する
「殺人鬼」の類であることが判明し、広く日本国民全体に左翼思想が暴力と結び付いた場
合の危険性が認識された。

もしこんな状況で「X'が武力闘争(テロ)路線時代の共産党に在籍していた」と知れたら、
自民党に入党したばかりのX'はどうなるだろう?……X'の共産党在籍は2003年の現在かか
ら見れば半世紀前の「歴史」だが、浅間山荘事件当時の国民から見ればわずか20年前の
「前科」だ。もしこの時点で共産党在籍の過去を暴露されたら、それで保守政治家として
のX'の政治生命は終わっていたはずだ。

そして、X'の共産党在籍の過去を知って「過去をばらされたくなければ、言うことを聞
け」とX'を脅せる立場にある者は存在した。言うまでもなく、1950年前後に京都府内の
共産党組織に通じていた者、すなわち日本人共産党員、朝鮮人共産党員(のちの朝鮮労働
党員)、それに蜷川虎三である。

●最初の脅迫者:蜷川府知事●
京都府では共産・革新勢力が強いとはいっても、府議会の第1党は、日本の他の自治体と
同様に、自民党であることが多い。蜷川は個人的人気で浮動票も得ていたので、知事選で
はいつも圧勝だったが、府議会では保革両陣営が伯仲しており、蜷川は議会対策に苦労し
た。

67年の府議選の結果、開票の時点では、自民党は20議席で府議会最大勢力の座を社会党
(21議席)に譲っていた。そこで、自民党は選挙後にX'らを入党させて再逆転した。

X'らの自民党入党は、蜷川やその与党(社会党、共産党)にとって、さぞかし不快だっただ
ろう。X'の転向(裏切り)で府議会で不利になったことは言うまでもない。となると、蜷川
は、X'を脅迫し、議会対策のため裏で操りたい誘惑に駆られるのではないか。

考えすぎ、ではない。当時、X'を蜷川のスパイと疑った者は大勢いたのだ。
「蜷川は、X'が反蜷川にまわったのは、政治家として生きていくための知恵と理解し
た。蜷川が府議選で社共候補の応援にまわるときもS町だけは素通りしてX'批判を一切し
なかった。X'も(共産党が支配する蜷川府政は攻撃しても)蜷川個人は攻撃しなかった」
と、X'と親しかった京都新聞の元政経部長・笹井慈朗は、元共同通信記者の魚住昭に語っ
ている(講談社刊『現代』03年6月号p.74)。

「攻撃」された蜷川陣営にも証人がいる。
「X'は蜷川と一見対立しているようで、実は対立していなかった。その証拠に、私は蜷
川から『X'を排除しろ』と言われたことがない。政治家というものは敵のなかにも味方を
持つ(見出す)必要があり、その意味では蜷川は『政治家』だった」と蜷川の元側近も、魚
住に証言した(『現代』03年6月号p.p 76-77)。

あきれたことに、当の自民党にもX'に「逆スパイ」の役割を期待した者がいた。
「X'ら無所属議員4人の加入で第一勢力の座は取り戻したが、X'を受け入れた理由はそれだけではない。X'は蜷川陣営にいたから向こう側の情報も知っているし、蜷川攻撃の材料になるだろうと期待していた。前尾繁三郎(元衆議院議長。自民党京都府連の重鎮)に相談したら、前尾も同じ意見だった」(『現代』03年6月号p.74、当時の府連幹部の証言)。

72年、台湾を重視する石原慎太郎ら一部の自民党右派勢力の反対を押し切り、国会で保革双方の圧倒的多数の支持を得て、日中国交回復および台湾との断交が、田中角栄首相(自民党)によって実現される。こうなると、自民党の政治家と共産勢力の接触の機会は増
えるから、石原のような正当な保守(反共)の政治家は、X'のような「元革新」の自民党員
には厳しい目を向ける恐れがある。

現に、X'を京都自民党に迎え入れた前尾も、のちにX'のことを「あれは正統な政治家
じゃない」(結局、蜷川陣営のスパイだった?)と述懐し(迎え入れたことを後悔し)ている
(「蜷川革新府政との『決別ごっこ』」)。

●府議の言い訳●
となると、73年に府議会でX'が、大阪鉄道局を退職してから21年も経って唐突に「
職場で出身階層が最下層であることを理由に差別されたから辞めた」という言い訳演説を
した理由が理解できよう。

52年に退職したときと同じだ。共産党在籍疑惑を払拭するために、別の大問題(出身階層
問題)を持ち出して「左翼疑惑」をカモフラージュし「私を悪く言う者は、差別主義者と
みなして(最下層民と団結して)糾弾するぞ」と世間を脅したのだ。じじつ、これ以降、X'
の左翼疑惑が取り沙汰されることは少なくなり、石原などは以後ずっとX'のことを「蜷川
革新府政と戦った反共の闘士」と誤解している。

●第2の脅迫者:朝鮮総連●
この「不義の言い訳」の時点で、X'はまだ京都府議にすぎず、中央政界を左右するよう
な重要人物ではないから、北朝鮮など共産圏諸国の諜報機関や朝鮮労働党にとって、この
事件はそれほど重大な意味を持たなかっただろう。

が、あまりにも露骨なウソだったため、1950年前後のX'の行動を熟知している「元同
志」、在日朝鮮人の元日本共産党員(のちに朝鮮労働党傘下の朝鮮総連に加盟)たちは即座
に注目(爆笑?)したに相違ない。

「そう言えば、オレたちがいくらでも脅せるやつが、自民党にいたんだな」

X'は共産党在籍時代にテロリストとして殺人などの重罪を犯したわけではない。鉄道テ
ロ(を含め李貞鎬とともに計画した3件)はすべて計画段階で中止されているし、在籍疑惑
で鉄道局を辞めたのも21年も前のことだ。
が、この府議会での「偽証」によって、X'は朝鮮総連に脅されるネタを新たに作ってし
まった。

【但し、民主主義国家の議会では、議員は議場での発言や票決について、議会外で責任
を問われることは(証人喚問に応じて偽証し、議院証言法に違反した場合以外は)ない。
したがって、この「偽証」は偽証罪を構成しない。が、有権者に向かってウソをついた
ことは明白で、刑事責任は問われなくても政治責任は問われる。】

当時、朝鮮労働党、朝鮮総連はすでに日本共産党とは絶縁状態にあり、自在に操れる
「味方」は、不正なパチンコ献金などでつながっている「万年野党」で党員数も共産党よ
り少ない、無力な日本社会党ぐらいしかなかった。

78年にX'が副知事になると、朝鮮総連にとってのX'の利用価値は一気に高まったはずだ。
なぜなら、総連は蜷川は脅せなかったが、X'は脅せるからだ。

「早くX'先生に代議士になって頂きたい」

といちばん強く願ったのは、自民党でもX'の支持者でもなく、朝鮮総連ではあるまいか。
総連から見ると「友党」である社会党には頭を下げて「お願い」しなければならないが、
X'なら思い通りに「要求」できる、というメリットがあるのだから。

その「期待」を背に、X'は田中角栄に接近する。83年7月、なぜか突然、秦野章法相(田
中派)は「帰化申請する在日外国人の『帰化後の氏名』には(日本風の名前でなくとも)
カタカナなどの民族名でも受け付けよ」と独断で大臣通達を出す。

当時役所の窓口では、帰化した元外国人が外国籍と間違われないようにという(余計な?)
配慮から、日本風の本名を名乗るよう指導していたので、事務方は一斉に反発したが、
法相は押し切った(朝日新聞83年7月17日付朝刊2面)。この通達で、それまで帰化と同時
に共産勢力と絶縁できるはずだった元朝鮮人が、なかなか絶縁しにくい状況が生まれてし
まった。

そして83年8月、X'は田中派の応援を得て、衆議院京都2区補欠選挙に当選し、中央政界
進出をはたす。 日本共産党よりも、日本社会党よりも、蜷川虎三よりも、もっとも朝鮮
総連にとって都合のいい国政政治家の誕生だ。彼の当選と彼の「過去」について、朝鮮総連はただちに上部組織の朝鮮労働党(北朝鮮政府)に報告したに相違ない。

北朝鮮工作員による日本人拉致が始まったのは、X'が副知事になった78年の前年。80
年、産経新聞が2年前の78年の日本海沿岸でのアベック失踪事件(蓮池夫妻ら)を、外国ス
パイ機関による拉致の可能性ありと報道した。

その後四半世紀、2002年9月の小泉首相の訪朝、10月の蓮池夫妻ら拉致被害者5人の
帰国まで、拉致問題はまったく進展せず、数百名の日本と韓国の国民が拉致されたままだ。

その間、北朝鮮はラングーン爆弾テロ事件、大韓航空機爆破事件、違法な核開発、日本
国内での覚せい剤密売など悪の限りを尽くす一方で、X'ら自民党の「ハト派」(親北朝鮮
派)政治家のお陰で、コメ支援などを受け続けた。

93年、「ハト派」の中心人物で自民党旧田中派(竹下派)重鎮の金丸信・元副総理が脱税
で起訴され、それがきっかけで竹下派も自民党も分裂し、そこから飛び出した小沢一郎ら
が非自民連立政権(細川内閣)を作って自民党の「ハト派」を野党に突き落とした。

が、94年、非自民連立政権に参加していたなかではもっとも親北朝鮮的な勢力、日本社
会党が「小沢は人柄が悪い」という政治的には意味不明な理由で連立政権を離れ、自民党
のハト派と結託。元田中派の新党さきがけ党首、武村正義も巻き込んで、「自社さ」連立
政権を作る。

このとき、自民党と社会党という保革両雄の交渉をまとめ、組閣後内閣の「要職」に就
いたのがX'だった(「要職」については「タブーを破りたい人のためのツール」すなわち
拙著『ラス…』を読んで適当に「邪推」されたい)。
その後8年間、拉致問題はまったく解決されず、日本政府は北朝鮮にコメ支援を与え続
け、朝鮮総連が牛耳る朝銀(タテマエは在日朝鮮人のための金融機関だが、実態は北朝鮮
への不正送金手段)に多額の公的資金を注入したところを見ると、90年代以降の日本政局
の主役は、小沢でもX'でもなく、X'を脅迫して操る朝鮮総連(その上部機関としての朝鮮
労働党、北朝鮮政府)だったのではあるまいか。

90年に訪朝して(拉致問題を棚上げして)日朝国交回復を提案して金日成主席(当時)と意気
投合したほどの親北朝鮮派の大物、金丸元副総理が93年に脱税で失脚したあともなお、
日本の「対北朝鮮宥和(弱腰)外交」が続いたところを見ると、「親北朝鮮派」の中心人物
はずっと(表面上は金丸だったが)裏ではX'だったのではないか。

少なくとも朝鮮総連から見ると、賄賂好きの保守政治家にすぎない金丸より、73年府議
会でのウソをネタにいつでも政治生命(と社会的生命)を絶てるX'のほうが「操縦しやす
い」のは確実だ。

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