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(回答先: 電車転覆で数人死亡、50人以上けが マンションに激突、大破 兵庫県尼崎市 (東京新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 4 月 25 日 11:11:02)
勝谷誠彦の××な日々。
■2005/04/25 (月) 号外。福知山線事故を巡る放送中止といくつかの情報。
朝日放送の依頼でいつもより便をひとつ早めて大阪へ急行してきたのですが、本日の『ムーブ!』は報道特別番組のために中止となりました。関西地区の皆さんにお知らせしておきます。事故の第一報を受けたのは『ザ・情報ツウ800』での本番中であった。何しろ私の実家から数キロの場所である。その場で尼崎や福知山線の地理関係がわかる人間がいなかったので自然にスタジオでの解説を私が行うことになった。福知山線というのは阪神間の後背地たる三田方面のベッドタウンから大阪などへの通勤客を運ぶ路線である。最初の時点では「広野行き」とのことだったので私は「下り列車。通勤客を満載している上りでなかったのがまだ不幸中の幸い」と解説したが結果としては同志社行きの上りという最悪のシナリオとなった。福知山線というのはもともとはのどかなローカル線である。それが急激なベッドタウン化とともに通勤路線となりそれと同時に尼崎は阪神間有数の交通の要衝となった。最近では東西線ともつながり恐らくはJR西日本としては今後もっとも「稼ぎが期待できる」路線だったのではないか。そのために軽量化したアルミの車両を投入し輸送経費も削減していた。軽量化は資源節約にはなるが事故の時のダメージが大きい。グシャグシャにつぶれた車体を見て背筋が寒くなった関係者も多いだろう。実は昭和53年にこの尼崎駅からわずか2、3キロ神戸寄りの場所で当時の国鉄は貨物列車の大事故を起こしている。12時40分ごろ香椎操車場発東京貨物ターミナル行きのフレートライナーが脱線、巨大な貨車20両のうち11両が線路をふさいで東西の流通に深刻な影響を及ぼした。その時も「脱線しようのない場所で脱線した」と言われたもので私の中では大きな謎として残っている。27年前のこの隣の立花駅での事故は人が亡くならなかったので関係者の中でも記憶が薄れているだろう。しかし国鉄から引き継いだ「妖怪」をまだ社内に飼っているJRを思う時カンのいい公安関係者ならばあまりの偶然にちょっと過去の資料を当たってみる気になるに違いない。下山事件以来日本の鉄道の線路には謎が埋まっているのである。ちなみに。立花駅大事故の2カ月前の8月12日は日中平和友好条約の調印日であった。この不思議な暗合をどう読み解くのかはそれぞれに任せたい。更に言えば事故当日の10月23日にはトウ小平副首相が来日している。「自衛隊の増強は当然」その時彼はそう言ってのけた。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/