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本当にいじめはなかったのか――寝屋川教師殺傷事件 2005/02/25
大阪府寝屋川市立中央小で教職員3人が殺傷された事件で、殺人未遂で現行犯逮捕された同小卒業生の少年(17)が、学校襲撃の動機として供述した「小学校時代のいじめ」について、当時の同級生や担任が「いじめはなかった」と話していると伝えられている。
報道によると、少年は、「小学校時代全般を通じていじめがあった」「小学校時代にいじめに遭った際、担任の先生が助けてくれなかった」と供述している。しかし、捜査本部の事情聴取に対して、当時の同級生の多くは、「いじめと言われて思い当たることはない」と話し、学級担任も、「恨まれる心当たりはない」と説明しているという。
このことから、捜査本部は、少年がいじめとは関係なく、思春期に絡んだ複合的要因で、学校や教師全体に一方的な被害感情を抱いていた可能性があるとみて、動機の解明に努めているとも報じられているが、専門家からは、周囲の目に映っていた「普通の子」と犯行とに落差がありすぎるとして、精神鑑定の必要性も指摘されている。
しかし、少年が若干仲間外れになるところもあったが「じゃれ合いのようなもので、陰険ではないし、事件の原因になるとは思えない」(共同通信)、「(少年は)歯が少し出ていたので、そう呼ばれたり、行動が大げさなのでからかわれていた」、「暴力を振るったという話も聞かないし、みんなもイジメてる意識はなかった。スキンシップの気持ちだった」、「(担任教諭は)『友達同士でふざけ合っている程度』と考えていたと思う」(注1)との報道もある。
子どもからいじめの訴えを受けて、いじめの事実を把握しようとしても、「加害者」や「傍観者」の立場にある同級生や、担任など学校関係者がいじめの事実を否認することは少なくない。わかっていて否認することもあるが、「加害者」や「傍観者」の側に、自分や友達の行為がいじめであることの認識がないことが多い。
そこで、いじめの事実を確実に把握するには、いきなり「いじめはあったのか?」と尋ねるのではなく、「被害者」はどういう子どもだったのかとか、「被害者」にどう接していたのかといった質問をすると、ふざけやからかい、ちょっかいを出した、仲間はずれにしたといった、具体的な話が出る。それはまさに、いじめに他ならないことがある。
児童虐待やいじめにより子どもが心に受けた傷は、悪くすると一生の傷になる。それは、単なるトラウマだけにはとどまらず、不登校や長期にわたる「ひきこもり」の原因となったり、行為障害・人格障害などの精神疾患となって、ときに自傷他害につながることもある。
また、「加害者」の側も、過去のいじめの被害者であったり、親からの虐待を受けていたりと、何らかの傷を受けていることがほとんどなので、いじめを放置したり、「加害者」を罰するだけでは、同じような問題に至る危険性が大きい。
このため、子どもからいじめの訴えがあったときは、「無罪推定」ではなく「有罪推定」で対処しなければならないだろう。もちろん、「加害者」の処罰を目的とするのではなく、「被害者」ともどもケア目的として取り組む必要がある。
文部科学省が昨年8月に発表した、「生徒指導上の諸問題の現状について(概要)」によると、全国の小中学校での03年度のいじめの発生件数は、2万3351件と、02年度から5.2%増だ。この数字は、学校が認識した数であって、子どもから訴えがあった数ではない。
わが子のいじめ解消のために奔走した親の多くが、いじめの事実をどうしても認めようとしない学校の壁に突き当たった経験を持つという。子どもの方も、訴えても認めてもらえないのが分かると、その後いじめを訴えることさえしなくなる。
警察から正式な発表はまだ何もなく、報道もどこまで正確かわからないので、少年が実際にいじめに遭っていたかどうか、いじめが事件と関係しているかどうかは全く不明。事件の解明のためにも、また将来同種の事件を防止するためにも、いじめとの関連を軽んじてはならない。
注1 「イジメ助けてくれなかった」 (デイリースポーツ)より引用
(秋吉俊邦)