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「どうして?」さん、こんにちは。
(たぶん「まいどッ!」でしょう)
別に驚かせるために投稿しているつもりは無いし、
通の人(通ぶる人)相手ではなく、
一方では「底のほうのレベル」で共感できるところから始めたくも思っております。
スポーツ愛好は根深いだけに、信仰と並んで“個人的・民族的に”相当な「人格的な対立」を惹き
起こしかねないという、世俗意識における根源的にして微妙なテーマなのでしょうね、大仰に留まることなく。
まずは“自分はよく知っている”という先入観を減じ、
スポ自体が、利用されて作られた一種の陰謀であろう、という視点を持ってください。(スポ「自体」が‥‥ですよ)
電鉄・メディア利権に限らず、スポと関連グッズに始まり、五輪観光、トレーニング地、スポ商品、
その周辺産業の途方も無い広がりを、目を閉じて想ってください。決して国威発揚・スポ外交だけではないでしょう。
収益は、国家にも企業にも裏組織にも流れ込むとともに、別段必要でもない「軽業曲芸ショー」や「体動かし」が、
あたかも“国民必携の常識”であるかに地位を高められているでしょう。
また、個々の競技種目と健康との因果関係も一般人に曖昧なまま‥‥
何やら急くかに日々「意味も無い」、ゲームパラメータの数字データニュースの供給が、
繰り広げられているはずです。これらは、まったく「人工的で異常な」ことといわねばならないでしょう。
(そもそも体育を学校教育で実施する必然性すら、疑問に思うこのごろですね)
もとより体力そのものが武力的に脅威でもあろうし、選手の一部は、その体躯を生かして、
学校生活で押して(幅を利かせて)いけるでしょう。監視の目の行き届かない無法地帯で、
体力の無い者が、いかに毎日「遠慮」を強いられているか‥‥。(通学電車の年寄りとか?)
そして戯れに過ぎないはずのスポが、
学校の名目であるはずの“主役の知育”に伍すかに台頭し、
それによってスポ系のスポットの当たる、偏った機会増大が演出され、
人気者、落伍者といった明暗を分かち、発言権や異性交遊といった人間関係諸相にも影を落としているでしょう。
私は“アメリカの高校乱射事件”には、やはり、不当にスポ株が
高騰している価値バブルが背景に有ったと思っているのですよ。
(むろん、貧者をそちらに注視させ発散させ、財を徴収するのに役立つ、これは世界的な構造なのでしょう)