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そうか、アリスさんは、久しぶりに潜望鏡を出しても、
その喇叭で滅私(則天去私だったっけ)を吹き続けるのか。まさに天晴れですね。
まあしかし、しかしですよ、その滅私というのは、自生(自然発生)してくる概念なのか。
僕にゃ、どうも或る目的をもって(何か別の面白い理想を成り立たせるために)引っ張り込んできた、
人工的な概念に思えてならないのです‥‥。う゛〜ん゛、相対論の成り立ちと似てる‥‥似てる。
なにかの有りえない範型(漸近線のようなもの)を「実在するものとして」生み出しておきたい“公的欲望”?
‥‥決して有りえないということを飛び越えて、そこのところの「実在」を寧ろ強弁してるのではないか、ってね。
‥‥数量では人智の届かない地平に手を翳してみたり、絶え間ない青の押し寄せに人工雲で境界を描いたり?
私という「実在」を否定することそのものを隠れ蓑にして、じつは「滅私」という神学摂理の「実在」を謳っているというのが、コトの真相でしょう。
もし滅私が「実在」でないなら、「実在」でないとされる「私」と同じ資格であろうから、「滅私」で「私」を否定することはできないですね、フツー。
どうせ「実在」を主張するなら、自然的な「実在」を選びたい。(どうせ一つ覚えならばね)
そんなところ(最終悟入で教義を啓いて、画然と公人化した、
独逸訛りの「スーパーマン」みたいなポジション)で、
俗人への優越を確保しなくても、
俗人と同じ「私人」で‥‥そのレンジで十分ほどでしょう(品種ベニアズマを加熱するのに)。
「私」はね‥‥滅私というのが生活的な、人生的な自然的態度か、というのです‥‥僕は。
ここで自然というのは、特別な制度・教育を要しないというぐらいの意味に取ってくださいな。
それに‥‥これは余談としてですが、「凡その人」は、教育・報道・相互監視に取り巻かれなくても、
自他の違いを意識し、確かめながら、生きていくのだと思いますよ、それまでに死ななければ。
すなわち、滅私などと「上から手招きする境地」は、特別な理解と修養を要する、特殊な立場だと思いますね。
(だから「滅私」を「私」が選ぶのであり、それだと都合が悪いので、当為や必然にオーダーメイドする
仕立て屋のメイド、政府諮問機関が学を統括するという図式が、貴様らへの冥途の土産ですね)
この滅私という概念は古今東西、哲・学・宗・教の、主流を形づくってきたでしょう。
乱暴な言い方をするなら、西洋思想の自己批判ショーの極点であろうし、東洋宗教の原点復帰という商機でもあるかもしれません。
東西の奔流が、割れた末に再会する合流(合意)点なわけでしょう? そして、この文明論的成果というのが怪しい。
「私」に言わせれば「無/虚無」ということを潔癖に突き詰めた挙げ句、とうとう大前提まで否定してしまっている気がしてならないのでα。(←やっぱ「R」のほうが納まりがいいね)
(たしかに煩悩を絶つには滅私しかないかもしれないが)
人間、煩悩があっていけないはずもなけれぱ‥‥
煩悩が即、悪さに繋がるとも思えない。
‥‥逆に滅私というのが煩悩を生み出すのみならず‥‥。
あっ、そうですよ‥‥もう1つ合流するものがありましたね。
‥‥政治というのは、要は奉公させる方法論でしょうから、滅私との相性が抜群に良い‥‥。
まとめると「滅私」という発想は凡庸であるばかりでなく、それだけに「主流」でもあったと思うし、
主流の発想を先鋭化させても、主流の世界が先鋭化されるだけですよね。
「滅私」が或る程度に実現しているのが、この世界でしょう。
「滅私」を推し進めれば、まさに「この世界」性が濃く実現されていくでしょう‥‥現世的に、暑さ寒さが彼岸まで。
そんなわけで「滅私」は、根源だと思って補恣意な。
で、何の根源かは慣用(常套句)を延いてください。
→よく「○△の根源」といいます‥‥。
今や現代思想の末裔も、滅私が「飯」の種か。(ふぁ〜あ←足の短い嘆息、あくび混じりの)
※
奉公の名で親を奴隷にした、親のカタキ(仇)でもいいだろうけど、
親がカタキ(敵)でもあろうし。(滅私の立場からは、百タタキか、ああしろ孔子ろと)
まあ親自ら語る親奉公、という親不幸なんでしょーよ。
個体→家庭→社会→宇宙、そんなにムッと膨れなくても。(アリスさんは僕の親代わりか、それほどマザコンじゃ
ないんで黙ってて欲しいな、それとも毎日声高に啓蒙しないと統合は成立しないか、思想も政治も選挙カーも
‥‥我なる内の中に自生するもの、その品種が劣っているとな?
‥‥これは失礼いたしやした‥‥勝って飼って
狩り込んで‥‥近未来に根絶やした(笑)
(富豪の滅私と、貧民の滅私。
ゲーム理論では、負けた人が
負けるという、経済理論かもよ。
声高な君こそ、滅私するといい)
航海中、極点しか無いと発見したコロンブスが
極点が無いという卵を産む日に。(後悔中)