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(回答先: 「滅私ぃ」?「則天去私ぃ」? 投稿者 不機嫌なアリス 日時 2005 年 11 月 03 日 18:30:09)
「2項対立」概念(例えば「熱い〜冷たい」という概念軸)が、
もし1億個有って、それら全ての属性が既知であるとき、
1億次元の座標軸を設定すれぱ、そこに一つの「点」
(位置)の形で属性の全てを示すことが出来るかもしれない。
すると「実体空間」における1つの、点状の(均質もしくは一体化した)対象については、
1組(1億個)の属性の総体として記述可能ではないか。これが単純属性による「属性
空間」においても1つの点にプロットされ、さらに〈そうした点が集まって、「実体空間」を
占める(かつ連動し、また秩序立って、変形・増減を繰り返すなりしながら動く)広がり〉
として、具体的な対象を示すことができるのだろう。そのときには「属性空間」でも領域が
示され、〈両者の空間を以て〉初めて1つの認知上の「世界観」を構成するものと思われる。
しかし飽くまでも、これは意識を「関係/構造」としてみた(マトリックスの)本源であろうから、
根茎状の広がりとは異なり、グリッドを伴う(即ち当の根茎状のネットワークをも更に徹底的に
位置づける)座標空間であるはずなのだ。対して根茎状の各ポイント(結節)とは、具体的には
内実を縮減(捨象)されたターミナルに過ぎない「主体」であり、ここで関係(経路‐脈絡)というの
は(述語ではなくして)紐帯の交差・錯綜に類する社会構造の意味であろう。そして社会構造が
(それが身体・抽象・虚構にも敷衍されるとすると)像‐表象として映りこんだ系を「意識」と呼ぶ
こともできるかもしれないのだが。従って「構造」論上の文化人類学的側面と言語学的側面の
両者(加うるに大脳生理学的側面)の混同を招くような粗い“網の目”という形容が甚だ宜しく
なく感ぜられるのだ。かつ、ここで「意識」をいう時、それは既に(個々の抱く)総体の世界なの
であろうが、いま世界管理として問題にしているビューは、なかんづく色分けされた限定的なる
管理網(意図‐命令が及ぶ範囲)に他ならないはずなのだ。しかるに、ことこれだけを照射(抽出)
しても或る空間構造を有する塊(ブロック)として概観できるのであるなら、三相/三層のレイヤーを
充分に峻別した上で語らない事には認識論なのか社会学なのかが一向に判然とせず、しかも“策動の
世界”を論ずる為に既知・未知についても動的に弁別を加えると一層のこと、錯誤を来しかねなく思えるのだ。
(それらが、ともに内外を統合した「構造」に過ぎ
ないか否か以前に、分別を要するのではないか)