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(回答先: 奥の細道はスパイ行 投稿者 染川瀝青 日時 2005 年 10 月 09 日 09:15:17)
http://www10.ocn.ne.jp/~kyouboku/nitsukou.htm
嵐山光三郎氏の芭蕉ワールド(04,04,21付東京新聞夕刊)によると、「芭蕉に同行した曾良は吉川神道の出で、幕府筋とのつながりが深かった。当時は、日光普請工事で、伊達藩と日光奉行の対立があり、曾良にはそれを調べる任が与えられていた。
『細道』の旅は日光、黒羽あたりまでが、幕府スポンサーの秘密の公費出張である。芭蕉おもいの曾良が自ら日光工事視察を志願したのかもしれない。俳人の芭蕉を連れて旅をすれば、隠密としても、かっこうの隠れみのになる。
日光に一泊したあと、黒羽に4月3日から15日まで長期滞在した。曾良が情報収集に動きまわったためで、その間、芭蕉はひとり待ちぼうけとなった。『夏に籠る』とは、そのことを暗示していると思われる。」(原文のまま)と記述されている。
http://www.geocities.jp/general_sasaki/bashoh_ninja_ni.html
平成の御世、50才台前半でリストラにあった人は江戸時代に61歳で国家公務員として再就職した曾良をうらやましく思うかもしれない。しかし曾良はかなり例外的だった。彼は情報収集のプロであった。当時平均寿命が50歳以下であったと思われるので60歳をこえれば相当高齢と考えられていたはずである。また彼は再就職したのではなく一時的に身分を隠していただけである。
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芭蕉の奥の細道の旅に同行した曾良は芭蕉の死後巡見使土屋数馬喬直(つちやかずまたかなお)家来となった。巡見使とは将軍の代替わりに幕府の天領、諸藩で法令通り政治が行われているか、調査する臨時の査察官であった。巡見使は旗本上位のものから選ばれた。1,000石以上の禄をとり高級官僚であった。