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(回答先: 私は真剣に観た。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 10 月 04 日 20:38:09)
>私はこの方面では鈍感な人間だろう。
はい。ステルスの脅威の話を避けてるみたいだが、どの方面であれ、
もし謀略に敏感ならワンワールドの片棒を担いだりしないと思うぞ。
>私の評が幼稚であろう事は理解する。
はい。ただ映画の解釈は自由だろう、と言っておく。
>あの映画は女以前に人間として生きようとする二人の女の話だろう。
はい、嵌まり込んだ(笑) 人間以前に女としてどう生きれば
男に捨てられなくて済むか、という読みはできないか。
>女同士の友情を描いている。
はい、嵌まり込んだ(笑) 当たり前的に友情も描いているにしろ、
この映画は芸人と無芸人の哀しい差を物語っているのではないのか。
アリとキリギリス、ウサギto亀、顔だけで飛ばしても飽きられてしまう、そんな
御時世に、7から8へと格下げされたレズ猫のほうのナナが居るかもしれないのだ。
男もそうだろ‥‥レンを見るがいい、コツコツ芸を磨いてチヤホヤされる身にのし上ったろ。
>そこにすがすがすしさを見たのだ。
はい? 何を見たって? すがすがしさを感じたのはワヤクチャ自身ではないのかッ!
‥‥ちなみにワヤクチャは何を見た、すがすが寿司さ見たべか、だったらこの話は撤回したい。
>普通は女はジメジメとした存在として語られる事が多い。
はい‥‥闘って負けるなら、白旗を振るしかないだろう。
ルームメイトにも彼氏にも職場にもだな、適応しなければ、
田舎難民には居場所が無いだろ‥‥バンドの正規メンバーに
登用される腕もなくパートタイマーのペットに堕すほかには‥‥。
>嫉妬心が強いというイメージ。
はい、超人に犬だといわれたら、尻尾を振るしかないだろう。
>女が他の女の幸福を願う事は無いかのごとく語られる。
はい、自分の幸が薄いのであれば自己を投影し同一視するわけだな。
他者を自分と錯覚するさいは、尻尾で自己を応援するしかあるまい。
>それに対するアンチテーゼだろう。
はい、だから、伝統的な女の苦難と陰鬱のテーゼだろう。
むしろ、ただ女でさえいれば女として可愛がられる
という段階ですらないかもしれないのだぞッ!
>それが私には嬉しかったのだ。
はい? 嬉しいのかそれが。他者を自己と同一視する、または自己の像と同一視したいのか。
>映画館は若い女性ばかりだった。
はい、何を見ているのでしょう、このオッサンは。
>私のようなオッサンはいなかったと思う。
はい、恐らくは、ほかの日に、ほかの映画館にいたからな。
>映画に涙しているオッサンがたった一人いたのだ。
灰、枯れるか、さもなくば湿ったイメージを自らつくる‥‥
または自己を薄っぺらな映画にしてしまうわけだな。
>アンタの感想を述べてくれ。
はい、述べた。(どちらにも)
>私は真剣に観た。
楽しんで観たらどうだ。
真剣な運動が、その真剣さで
支持されるのか。要は洞察だろ?