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‥‥説得するくらいなら、小出しにせずネットブックでも書いてリンクを張ればいいと思うのだ、そのほうが背景・全貌が判るだろう‥‥
説得で人は変わるだろう、場合によっては長い時間をかけて突然に。
しかし、それを当てにして、説得を続けることができるか。
変わって欲しい相手が大勢いればどうする、一人ずつ説得していくか。
ある一人を説得できるとすれば、その相手が何か特別の意味を持つ存在だからだろう。
説得する内容が同じで長くなり、しかも言葉だけで説明できる問題なら、
系統だてて本にするのがよいかもしれない。
本にするのが最適な場合に、本にしない理由は何か。
読んでもらえないからか、準備が出来ていないからか。
結論までが膨大だからか、頭で整理できていないからか。
忙しいからか、面倒だからか、テーマが統一されていないからか。
つまりは抱えているテーマが多いからか、自信が無いからか、
要は逃げているのか。
実は、それほどの語るぺき内容をもっていないということがあるだろう。
説得は幾らでも繰り返せ、相手を変え状況を変えて、情報を量産できるという利点があるはずだ。
その分、たくさん喋っているわりには新たに言えたことが少ない、というほどの意味なのだが。
(個人の観方として、掲示板で中途半端な長文でもって脈絡なく投稿を繰り返すのは、
目的をかんがえれば、要するに本を書くまでに至らない代償行為であるかに映る。
なぜなら、多くの人間は、本によって思考の骨格を得ていると思われるからだ。
つまり、本というものに信を置き、それを積極活用する習慣はあっても、
権威に気圧されるかして、情報提供の側に回ろうとはせず、
生涯、受け身でしかないのではないかという意味である。
例えばブログで発表することもできるが、
時事など、外的な話題の変化に応じるなら、
主体的な統一性を持たせづらいかもしれない。
尤も、それら自体はいっこうに構わないだろうが)