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(回答先: 考えてもこの程度なんですが 投稿者 どうして? 日時 2005 年 6 月 24 日 15:40:22)
どうして?さん、はじめまして
愚民党さんとのゴミのお話、先ほど読ませていただいたのですが、
こちらにも興味深い投稿が・・。あまり頻繁にアクセスしていない
のですが、コメントさせていただきます。
国歌と校歌のお話。歌わなければいけないと言われ、歌わせられて
歌う歌は、うたじゃないと思っています。そういう意味では、音楽や
美術の授業にも疑問がありますし、作文や詩での表現それ自体に対
しての、人の感性を無視したような添削も変だと思っています。
音楽を伝えることに多少の関わりがあるのですが、子供の音楽の成
績やお入試のために、ピアノを習わせる親が増え、教える方に、テ
ストに出る作品を完璧に弾けるようにさせてくれと求めるという話を
よく聞きます。自分を表現することを求めたがらない教育、その教
育を受けた子供達が大人になった結果が、こういうことなのだと感
じています。
−−−
以下、個人的な想像になりますが・・。
表現で表わす感情の一つに、自分を越える何かに対するリスペクト
や畏怖というものがあるのだと思います。
色々な国の伝承的な表現をたどると、多分元々は、長に対する忠誠
というより、リスペクトや畏怖のようなものをあらわした表現が生
まれ、それを民族で共有したりアレンジを加えていったりして、伝
承音楽や踊り、様々な文様や、古来からの織物のパターンなども含
めた表現が生まれて行ったのではないかと考えています。
自分(人間)が生きていける環境を与えられていることへの悦びや
感謝、その環境が存在することへの畏怖や不思議さ、でも残酷にも
時には勝手に壊れていってしまうことへの恐怖や怒りやもどかしさ、
ルーツミュージックにはそういうものを表わしたものが多いと思い
ます。
それと、愛を表現する音楽も多いです。言葉がある歌ではなく、笛
などを奏でて、恋文のように音で愛情表現をやり取りする音楽等も。
愛情表現としての音楽など、表現は、時には、ダイレクトに実利?を
得る事ができるわけで、その実利を得られるという部分が、いわゆ
る長に対する忠誠心を表わす表現に通じているのではないでしょうか。
何かを得た悦びを何かを与えることで返す、初めはそんな感じだっ
たのではないかと想像します。
そして、それを権力者(対象者)が利用することになった。
その原因の一つが、言葉=言語なのではないかと考えています。
元々高揚感や一体感みたいなものを生み出しやすい、リズムやメロ
ディーというものに、明確な意味の言葉がつくことで、音楽は人を
コントロールしやすい表現にもなっていった側面があるのではない
かと思います。きっとある時、部落や民族の長が気がついたのでは
ないかな、これは便利なツールだと。
−−−
歌でも何でもそうですが、長への忠誠みたいなことに関しては、そ
もそも順序が逆ではないかと思います。リスペクトする気持ちがな
いのに、讃える歌を歌えといわれても、嘘付けと言われているよう
なものです(苦笑)。
人は全てにわたって平等ではありえない、でも、一人の人間が全てに
わたって長けているということも、ありえないと思っています。
集合体への帰属って、何から何までしなく帰属しなければいけない
ものではないと思うのです。ゴミ袋に固有の番号を書かせるように
なったこの町内会は、ほんと住みにくくて、そろそろまたどこかに
居所を移そうかと思う今日この頃です・・。
校歌、本当に歌いたいと思った人だけ、歌うことにしたらいいのです。
何人歌うかで、自分の教育の成果がわかるでしょうに(笑)。
仮に国歌というものが必要だとしても、国歌に歌詞が必ずしも必要
とは思わないです。無い国もありますし。歌詞がつくことで、それが
表現する世界から、はみ出すものを排除する可能性が高くなるので
は、とも思います。
君が代のメロディ、「音は永遠にずーっと続いていますよ」という
感じが出ていると私も思います。でも、続かなくては!という感じ
というより、はかなく漂いながら空気に混じっていくような余韻が
好きで、思想的な部分とは関係なく、あの歌詞は合わないなーと、
ずっと思っているのでした。
音楽としての君が代に関して、もう一ついえば、ある音楽表現に対
するトリビュートの一つとしての、アレンジやリミックスがほとん
ど許されない作品って、哀しい作品だなーと感じてしまいます。
−−−
ご存知かもしれませんが、
三つの君が代−内藤 孝敏(絶版みたいですが・・)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122034930/ref=lm_lb_8/249-3358155-1776320
思想的なものとしての君が代についてはともかく、音楽的な成り立
ちについては個人的には興味深いものでした。