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戦後の教育によって今の日本人の大多数は、戦前の日本は暗黒の「軍国主義」だったと教えられ、それ以前の日本についても黙殺され、日本人としての誇りを持てないでいる。「軍国主義」という言葉の意味は何か。この定義がはっきりしない。「とにかく日本の軍隊は悪かった」という事らしい。これは事実と違い意図的な貶めである。そういう事にしなければ立ちゆかない勢力の仕業である。只日本は「先の大戦」で破れ甚大な被害をこうむった。被害者は敗戦国の日本である。
現在の北朝鮮は「先軍政治」と呼ばれている。国民が飢えて死のうと、軍と政治中枢の一部特権階級のみが、国民の困窮をよそにまともな暮らしが出来る。これは「軍国主義」ではないのか。報道機関に問うてみたいものである。戦前の日本はそうではなかった。支那事変が長引き、ABCD包囲陣の経済封鎖を受けながらも。多少の不便はあったが。
戦前の日本をどう規定したら、いいだろうか。私は戦前の日本は「官僚社会主義」と呼ぶべきものかと。ドイツと比べると分かりやすい。ドイツはヒトラーの下「国家社会主義」体制がしかれた。国や民族は危難に遭遇すると、団結してその国家や社会、民族の尊厳を守ろうとする。
ブロック経済の中、植民地という市場に恵まれない両国は国内で団結するしかなかった。その団結の中心がこの両国は違った。日本には長い歴史の皇統を精神的支柱とする事が出来た。ドイツにはこれがない為意図的に、敵を作り出さねばならなかった。その対象となったのがユダヤ人だった。
この「国家社会主義」という体制は、最も民主的平和的といわれる「ワイマール体制」の中から、選挙によって生まれてきたのだ。「ワイマール体制」とはドイツの生存権には一顧だにしていなかった。「過ぎたるは及ばざるが如し」の結果を招いた。
日本はどうか。日清、日露の両戦争に勝ち一等国となって、国家国民に心の隙が出来ていた。そして国家体制が明治維新体制からの、一段の脱皮を迫られているのを誰も気にかけなかった。国際政治は常時「静かなる戦争」である。日本に罠が仕掛けられているのに、一等国として極楽とんぼだった。だから戦争に追い込まれた。
日本の誰もが「対米戦争」は望んでいなかった。しかし支那事変以来日本を狙う勢力に、効果的手が打てなかった。それは当時の国家体制が既に、明治維新そのままの体制ではもたなくなっていたからだ。そこに「マルクス主義」が台頭してきた。そして当時の「革新官僚」と呼ばれる人々を迷わせた。彼らには魅力的に響く言葉があった。それは「計画経済」。
税金を思い切り使い、彼らの好き放題に出来る。これは応えられなかったであろう。だから「革新官僚」は「マルクス主義」に心情的に惹かれていった。そして陸軍省や多くの官庁にその考えは浸透していった。そして「国家社会主義」ならぬ「官僚社会主義」が日本を覆い始めた。そして全てが統制の方向へと梶を切り始めた。更にABCD包囲陣の経済封鎖がそれを助長した。
これがなければ、そして支那事変を終息させていれば、日本は違った道を歩めたろう。既に男子のみだが「普通選挙法」は実施されており、TV放送さえ準備中だったのだ。戦後の「高度成長」は「高度経済回復」と呼ぶべきものだ。経済封鎖がなくなったので当然の回復をしたまでだ。
これらを鑑みれば、「軍国主義」などの言葉がいかに、事実を無視した、左翼の政治用語であるかが分かる。戦前の日本は官僚統制の「官僚社会主義」国家だった。その大本に陸軍省が狙われた。そして戦後は主人をGHQに代え今も「官僚社会主義」はまだ生き残っている。彼らは天下国家の事など考えない。だから尖閣列島の支那のガス田開発に融資したりする。