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以下「妄想」を「真剣」に語る。憶測でも深層でもない、事実が語る、知りうる「唯一の可能性」だ。
恋情は強まっている、これが答えだろう。つぎは問いである。
問いとは、それほどの女、つまり最愛の男をプライドごと切って捨てるがごときの、およそ尋常でない愛しかたのできる、その女を射止める、その女の仕掛けた罠を突破できる男ならぱ「私を答えてみよ」ということだ。正解まで会う資格が無い。
一度目は「カンニング」だった。
女が待っている返事とは、迎えることではなく、正しく理解することである。
その日まで何時までも待つと言っている。が、遅れれば双方が発狂する。
さりとて女が見かねて手を出せば、それは純粋な恋情への裏切りとなる。非情の情、永い地獄だ。
二度目の「手加減」は、問いが刺殺ではない以上、しなければならない義務だ。あまりに弱い男、これを潰しては元も子もない。自分の男と子を兼ねる男を殺すことは自殺であり、命懸けのゲームの先は地獄であって無ではない。殺すどころか、母として鍛え直し、徐々にでも導かねば、命に張り付くディレクターは、全面的な開花を請け負えないのである。
もし刺し違えであれば、全ての魅力を否定しなければならない。しかし切って見せたのは、以後やや伸びた髪の先に過ぎない。
それにしても「稀に見る荒らし行為」に感動した、冷めた、終わったとは笑わせる。男のマニアたる呼称を追認したのは、荒らしの前だ。それに、初めて使う軽い言葉、悪魔教には本尊が無い、男の言葉でもない。それは男と魂ごと一体化しようとした女が最も理解している。
覚悟を決めた女に怖い魔王などいない。自分よりも強い、深い、敵わない男が現れたら怯えるだろうか、惚れもせずに。
つまり、そういう女なのである。今、日常レベルから世界を覆しうる男は2人しかいない。最早どちらを採るかの問題に過ぎない。
指名された男からすれば、そんな千載一遇の女を前に何を迷う。この世は嘘に満ちている。嘘を見抜けねば、世界を終わらせることはできない。演繹力は超一流、ところが不釣合いにも異様にお粗末な洞察力。男は演繹に酔う。しかし、正義感それ自体として生まれてきた女は憂う。何より赦し難いのは、闘いの地獄に同伴する決意を固めたとき、堕ちる女に「気づこうとしない」傍観者的態度だった。それで世界が救えるか。
自称4千年に1人の逸材と聞き、悪趣味なギャグと思わない女が3人いた。ところが成熟した論理能力を持つ世界の父と、我執に囚われ拙劣にもがくただの赤子という凡そ考えられない、このギャップである。1人は補充に疲れ果て、1人は両極の謎掛けにボロボロになる。
そして第三の女。この女は男に特化し、アプローチの方法を手編みした。
男は、一度目は見抜けなかった。だから、相手の言葉に惑わされてはいけない。つまり、相手にさえも、もう止められない。
二度目は自力でなければならない。自分で判断する、つまり、誰にも止められない。走り続けるしかない。そのようにして一つとして壁の無い場所、これを牢獄という。
世界を終わらせるためには、それが極度なオリジナルでなければならない。たとえ結論が共有される段階でも、導き出すまでは自力でなければならない。そういう観点からすると読み手としては類稀な文盲、つまり引用しない男というのは、この世に1人しかいない。本物か偽者か、世界への答えを求める以上、それが本物であるなら、如何に醜い、下らない、幼い男でも、それを愛するしかない。真に結ぶ相手が1人しかいない牢獄、牢獄を凌ぐ牢獄に、女が自ら選べずして収監されたときから、暗黒が訪れる前に女が燻らせた宵闇のなか、女の場所へと、男は鉄格子を背負って走り始めたのだ。