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最後の晩餐の絵を思い出した後、
「イエスの愛したまふ一人の弟子、イエスの御胸によりそひたれば」
(ヨハネ伝福音書13章23項)
を実践できるか考えた。
テーブルが邪魔だ。
イエスは食事をしながら首に香油を注がせたりする。
テーブルの上が香油で汚れる。きっと食事にも油がかかる。
ふんぞり返っていたとしたら、「食事をしながら」ではなく「食事の合間に」が正しい。
イエスがパリサイ派の人の家で食事をしていた時、マグダラのマリアは香油をイエスの足に塗り、自らの髪で泣きながらぬぐったとされているが、それはテーブルの下にもぐっていたのだろうか?
ダヴィンチをはじめ、色々な聖像画には脚色では済まされない「嘘」でパッケージングされている。
サンタの衣装やいでたちが「コカ・コーラ社」のイメージ戦略であり成功したとするなら、最も成功したイメージ戦略は「キリスト教」のそれらではないかと思える。