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(回答先: 反対しておきます。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 2 月 27 日 12:55:20)
差別主義者はネットでは非常に多い。現実社会で許されていないからネットに流れ込んでいるのであろう。
そしてそれらと闘い排除すべきと主張する時、必ず考察者K氏のように「言論には言論で」という人物が現れる。
しかし現実をみてみよう、下記は2ちゃんねる管理人西村博之公式見解とよばれる文章である。
真偽は不明であるが、しかし2ちゃんねるはこの文章どおり差別主義を放置している。その結果どうなったのか。それら差別主義に影響された普通の青少年が更に差別主義に感染し
、自らも差別主義者となりはて、ネットで差別主義の宣伝活動を必死に行っているのではないか。
阿修羅をそういう拠点にさせてはならない。「言論には言論で」とは聞こえはいいが、差別主義との闘いを知らない人の理想論にしかすぎない。
ここに私は改めて差別主義のテンプレート作りをしている「倭人」の投稿停止を求めるものである。
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http://d.hatena.ne.jp/claw/20040701
2ちゃんねる管理人西村博之公式見解
記者 「一部の差別的書き込みについてはどう思う?」
西村 「えぇえぇ、まぁー、どうですかねぇ?」
記者 「賛成?それとも反対?」
西村 「もちろん、反対ですよ。」
記者 「どうして?」
西村 「右翼的なことを書いてる人々は、逆差別に怒ってるつもりなんですよ。つまり、在日の外国籍の方々や、出身による差別を受けてきた方々は、差別されてきたという歴史を背景にして、現在では逆に優位な立場にあると思っている人がいる。
そう思っている人々は、それは逆差別だから批判しなくてはと思って、被差別の側にいる人々を攻撃する。でもね、考えても見て欲しい。
被差別の側にいる人々が本当に強者なのかと?馬鹿言うなと言いたい。
部分的には強者に見えても、総体としては現在でも弱者であり、不当に差別されているわけです。そういう現実を無視して、”逆差別を批判する”と息巻いてみても、それは”正義”の仮面をかぶった単なる差別主義以外の何物でもない。それこそが差別の典型なんです。
つまり、逆差別への批判、つまり差別主義の裏の裏をかいたつもりが、結果的に単なる昔ながらの差別になっているということです。」
記者 「別の言い方をすると?」
西村 「差別に反対している人に反対することが、結果的には単なる差別に陥っているということ。」
記者 「なるほど。差別的な投稿を取り締まるつもりは?」
西村 「ありません。彼らだって、そのうち気付くでしょう。大人になればね。ニヤリ(笑)。」