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(回答先: 家屋被害は800棟 玄界島に仮設住宅建設検討 福岡県西方沖地震 (東京新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 21 日 14:42:02)
福岡県西方沖地震 玄界島にみる防災
急斜面 民家密集 火災起きれば…
福岡県西方沖地震で、最も被害の大きかった地域は福岡市の玄界島だ。島ではヤズ(ブリの若魚)漁が始まったばかりだった。建物の八割以上が被災、島民の避難生活の長期化も懸念される。島の集落は斜面に寄り添うように建ち、道路整備は限界がある。高齢化も進む。被災で文字通り孤島になる不安もあった。都市部とは違った防災対策の課題はないのか。 (藤原正樹、松井 学)
「夢を見ているのかと勘違いした。これで死ぬと思った。こんな大きな地震は経験がないからの。足が悪くて、きつい斜面を自分で上り下りできない。車いすで避難させてもらった。島には若いころから段々畑の農作業や漁業の重労働をして、足が悪い高齢者が多い」
福岡市中央区の九電記念体育館に避難している久保田久輝さん(75)は、島からの避難の様子をこう振り返った。七十代の女性も「手術してから足がだめ。狭い道に瓦が散乱してどうしようもなかった。孫に負ぶわれて避難できた」。
玄界島は博多湾から十八キロで周囲四キロ。中央に標高二一八メートルの遠見山がそびえ、平地は少ない。民家は港周辺斜面に集中し、二メートル程度の路地が民家の間を縫う。島独特の事情が避難をやや困難にさせたようだ。島民約七百五十人の八割が漁業従事者で、六十五歳以上人口も同市平均14・6%に比べ26%と高齢化が進む。
玄界島漁協で待機していた玉川利久さん(49)は「全島民が知り合いで、悪さをすればすぐにばれる土地柄だ。人的被害が少なかったのは、約二十軒の一人暮らしの高齢者も把握していたことが大きい。島民に負ぶわれて避難した独居老人も多い」と話す。実際、倒壊寸前の家で逃げ遅れた八十代の女性は、近所の男性の発見で無事救助された。女性の家族は福岡市街に結婚式で出かけて留守だった。
一方で、玉川さんは「飯時の被災でなくてよかった。火事が起きれば、密集した民家にたちまち広がっていた」と胸をなで下ろす。
防災体制も万全ではなかったようだ。島の消防団員(47)は「年に一、二回、火災訓練はするが、地震を想定したものはなかった。百年、大地震がなかったのだからしょうがない」と話す。漁協職員の久保田正一さん(43)は「大きな地震がなく、代々受け継がれた教訓のようなものもない。教訓があれば、石垣を積み上げて、急斜面に家を建てるようなことはしていない。死者が出なかったのはラッキーだった」。
島内には各戸をつないだ有線放送網が完備されているが、地震で漁協内に設置されていた主装置が使用不能になっていた。久保田さんは「放送網が無事なら、避難指示も迅速にできた。ただ、島民の連携がよく、口コミで全戸に伝わったようだが…」。幸い港も機能したため、市営渡船で発生日当日夜には、島外への避難もできた。ほぼ全島避難の状態だ。
島の経済的打撃は大きい。今月十五日からヤズ漁が解禁され、従来なら六月中旬までが一番のかき入れ時だ。だが、漁師全員が漁どころではない。漁協職員の細江初隆さん(40)は「この時期は県内一の漁獲量になり、島の年間売り上げの四割を占める。仕事もできない、家も壊れたではお先真っ暗」と肩を落とす。
■重機使えぬ復旧「手間は3倍に」
帰島は長期化する懸念がある。中学校などの仮設校舎を建てるにも、土地がない。福岡県と同市の被災状況調査で「調査民家の八割以上が危険家屋」とされた。細江さんは「ふつうの新築工事の場合でも、狭い路地には重機が入れない。人力で土地をならし材料を運ぶしかない。島は“おか”の三倍も手間がかかる」。現場をみた土地判定士からは「地盤が傷んでいる。構造的な工事が必要」という声も出る。複数の島民は異口同音に「再びこの島に家を建てられるのか。このまま島は立ち直れないかもしれない」と危機感を募らせる。
玄界島の抱える問題は、他の島も同じだ。だが、島しょ部の防災対策は、都市部と勝手が違う。玄界島を管轄する同市消防局西消防署の担当者は「島には消防署もない。もし、火災が起こっていたらと思うとぞっとする」と島民と不安は同じだ。
地震発生後、行政の防災無線を通じて連絡を受けた島の消防団員らが、住民の安否情報の確認を進めた。「消火活動の人手が要らなかったので、安否の確認とけが人の搬出に集中できたのが大きい。しかも、今回は玄界島に救助活動を集中できたという不幸中の幸いのケースだ。もし被災地が広域であれば、新潟県中越地震の山古志村のように、被災後も島の被害状況がすぐには伝わらず、孤立する恐れもある」
■漁業中心の産業 島民の移住困難
二〇〇一年三月に中国、四国地方で震度6弱を観測した芸予地震で被害が集中した広島県呉市は今月、瀬戸内海の島しょ部を含めた六町と合併した。市の防災担当者は「島では平地が少なく、急傾斜地に住宅を建てていることが多い。地震後、梅雨の時期を迎えると、住宅の土台などが崩れる二次災害で避難生活が一年単位で長びく事態が起こった。島しょ部の住民には高齢者も多く、老後になって住宅を新築する余裕もない。住み慣れた土地を離れざるを得ないケースも出てくる」と指摘する。
伊豆諸島や小笠原諸島を抱える東京都にとっても、島しょ部の防災対策は大きな課題だ。新島村では毎年、地震と津波を想定した避難訓練を実施している。ただ、防災担当者は「島民も観光客も、実際の津波は未経験だけに、東海地震で想定される十メートルを超える津波から逃げられるのか心配だ」と話す。
防災コンサルタントの木村拓郎氏は「島の場合、道路が寸断されると集落が孤立し救援、消火活動が行えない事態に陥る。津波が来て港が被害にあったら、船舶の出入りもしばらくは難しい。島全体が顔見知りといった地域では、都市部に比べて住民の安否確認は早くできるだろうが、一方で、島外からの支援が頼めない事態を想定しなければならない」と指摘する。
被災後、玄界島をヘリで視察した防災コンサルタントの渡辺実氏は、復興に際して「島内の別の土地に住宅を移転できるかといえば、漁業を生業(なりわい)とする島民にとっては難しい。新潟県中越地震の被災地に比べても復旧作業は厳しいのではないか」と指摘。さらに住宅再建に国の支援が不十分な点も合わせ「新潟県中越地震の被災者が直面した『生活再建の先行きが見えない』という現実に、玄界島の人も遭遇しなければならなくなる」と心配する。
漁協職員の久保田さんはこう話す。「どんな備えをしていても、地震は防げない。被災後の対処が重要で、島民のつながりが一番大事だ。過去に大きな地震がない地域でも、対策を充実させて、地震に強い連絡網を備えるしかない」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050323/mng_____tokuho__000.shtml