現在地 HOME > ホロコースト1 > 799.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: かずやさま、論拠を示してください。 投稿者 とっぽ 日時 2005 年 4 月 12 日 16:48:32)
1935年のこと、神官の竹内巨麿は、北日本の新郷村の丘の上にイエス・キリストの
墓を発見したと発表しました。同氏が主張するところによると、家の蔵から見つかった
文書には、ある時期イエスが新郷村に住んでいたこと、そしてそこで亡くなったこと
が示されているということでした。イエスが埋葬された場所を探していた巨麿は、土
まんじゅうを見つけ、これこそがイエスの墓であると結論しました。
その後、竹内家の神社から見つかったとされるヘブライ語の文書には、イエスが二度
にわたって来日し、山伏と一緒に修行を行なったと記されていました。その説明では、
裏切られたイエスがユダヤからシベリアの広野に逃げ、それから日本に渡ってミユ子
という日本女性をめとり、三人の娘の父親となって106歳で亡くなったことになってい
ます。その話によると、エルサレムで処刑されたのはイエスではなく、弟のイスキリ
でした。
こんな話ですが、キリスト教徒による作り話とは考えにくいですね。
それはキリストの信仰を否定することになってしまいますもの。
でも面白い話しですね。
>日本人は東洋のユダヤ人といわれるほどの高い知性を持った民族である
少なくとも、私は例外のようです。
隣人でした。