現在地 HOME > ホロコースト1 > 747.html ★阿修羅♪ |
|
ナチスドイツによるユダヤ人への迫害については、戦前から戦中の日本において知られていた。母もこの事は知っていた。
母は国の無いユダヤ人の運命について心を痛めていた。
戦後に、少年の私に向って語った。
「ドイツ人は第一次大戦の敗戦後に大変に苦労した。その時代に国内のユダヤ人はドイツ人よりも恵まれた生活を送った例が多かったので、ドイツ人の苦労への怒りがユダヤ人に向けられてしまった。そしてユダヤ人は迫害されたが、国が無いので抵抗なんかは出来なかった。ユダヤ人は多くの国で迫害を受けていたが、国が無いのでこの様な目に遭ったのだ。ユダヤ人が嫌われる行いをしてきた事は確かであったろうが、国の無い彼らは自分達を守る為に行ったのが主な理由であったろう。この様に『国が無い』と言う事は悲しい事だ。そしてそれは必ず迫害されると言う悲劇を招く事なのだ。日本人には幸いにして国がある。このことは本当に『在り難い事』なのだ。であるから、日本人は、この国をユダヤ人のように失う事が無いように必ず守っていかなければならない筈だ。国があることによって日本人は守られるのだ。国と言うものの在り難さを知らねばならない。ユダヤ人の辿ってきた運命を日本人としては無関係な事と見てはいけない。」
私はこれに答えて言った。
「戦後にユダヤ人は自分達の国を造ったよ。イスラエルがそれなんだ。」
母は言った。
「そうか。自分達の国を造ったのか。」
当時の私も母もイスラエルとシオニズムについての内容についての理解は無かった。
私は映画「十三階段への道」を既に見ていて、ホロコーストの知識も得ていた。当時は未だそれを「ホロコースト」と言ってはいなかった時代であった。
私は、その映画で訴えられていた「ユダヤ人虐殺」を其のまま受け入れていたわけではなく、単に記録映画の情報として頭に入れていたのである。
その後に歴史の知識を集積させてから、また政治技術の知識を集積させてから、色々と考えたわけである。
「論理的整合性」の無いものは受け入れない考えの持ち主なので、何事についても「信じる」と言う事は私には在り得ない。
史実か否かの「ユダヤ人虐殺」のことはさておき、ユダヤ人と国家と世界の問題を考える時、何時も母が私に語ったこの話を思い出すのである。
私の父は兵隊に八年間も行ってきた人物で、戦前共産党の「獄中十八年」のように言えば「兵隊八年」と言えるのだ。
何度か応召したが、その度に勤め上げて無事に帰ってくるので、また「お呼びが掛かる」のである。「売れっ子ホステス」の様なものである。この様な例の人を他にも知っている。
しかし、この父は復員してきてから事業を始めたのだが、私が生まれてから半年も経たないうちに急死してしまった。戦時中の無理が祟っていたようで、健康を害していたのである。母は父について、「戦死でも戦病死でもない、戦争で消耗して死んだ事に間違いないのだが、この例では恩給なんかは出ないのだから、損な役割だ」と言っていた。しかし、母も私も「自分達は他の人達の悲劇的な例を多く見れば、自分達は幸せな方だ」と考えて活きていたのである。それで私は父から教訓的な事を聞いた事は無いのである。
国と言う事につき、私は国粋主義者ではないから偏狭な考えは持っていない積もりである。
しかし、国は守ってゆかねばならない、国を捨ててはならないと考えている。
近々、地球人類は、「国」を「地域自治体」へと転じて「地球人類体」を形成して平和に生活するものと考えている。
その為には、それぞれの民族と国を破壊する事無く守ってゆく事を経過して相互協力を経て「地域自治体」へと転換する道を目指さなければならない。
「民族抑圧」と「国家破壊」は人類破滅を招くのである。
2 81 +−