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(回答先: 「南米でのナチ残党のその後」に関する情報は無いでしょうか。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 09 日 01:39:01)
サイモン・ヴィーゼンタールから戦犯判定(?)を受けた
ファシスト軍曹が、一昨年アルゼンチンで生涯を終えています。
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アルゼンチンで死亡 元ファシスト軍曹 Bruno Caneva
元ファシスト軍曹 ブルーノ・カネヴァ アルゼンチンで生涯を終える。
03年8月8日付 コリエレ紙
「最後のイタリア人戦犯の死」
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2003/08_Agosto/08/criminale.shtml
ブエノス・アイレス
元ファシスト軍曹、サイモン・ヴィーゼンタール・センターによって最後の
イタリア人ファシスト戦犯と認定されたブルーノ・カネヴァがアルゼンチンで
91歳の生涯を終えたことが、昨日警察により確認された。アルゼンチン中部の
メンドーザでの引退生活に入る前はスキー・インストラクターとして働いて
いたカノヴァが、前立腺ガンにより先週の木曜に死亡した。ナチスの戦争犯罪
追求に特化しているサイモン・ヴィーゼンタール・センターは、この男の
イタリア引渡し、少なくともアルゼンチンで公判にかけることを要求していた。
カネヴァには、第二次世界大戦中のペデスカラ(Pedescala)市民70人あまり
の虐殺事件に関与したかどで告発を受けていた。
逃亡 伝統的なナチス戦犯逃亡地であるアルゼンチンは、アドルフ・アイヒマン、
アウシュヴィッツ強制収容所で’死の天使’の異名をとるヨーゼフ・メンゲレ
(Josef Mengele)を迎えている。しかしながらネスター・キルヒナー新大統領は、
アルゼンチンに逃れてきた戦犯を特定するための情報公開を命じた。
アンデス麓の小さな町に半世紀暮らしたカネヴァは、サイモン・ヴィーゼンタール・
センターの調査によると、1945年にヴィチェンツァ近くで起きた”ペデスカラの
虐殺”の責任者のひとりであるとの証言者が複数存在する。カネヴァは戦後、
ドイツでスキー・インストラクターとなったが、47年に(1人の)イタリア人
殺害で有罪判決が下った後、アルゼンチンに逃亡。自身は無罪を宣言している。
1995年、アルゼンチンは他の戦犯、335人が虐殺されたとするローマ・
アドリアティーネ事件で有罪判決が下ったナチス高官エーリッヒ・プリーブケ
(Erich Priebke)を引き渡している。
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元SSエーリッヒ・プリーブケは、ブエノスアイレス近郊で本名を冠した
食料品店を営んでいたそうです。