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・・・それから、ポーランドが管理するアウシュウィッツ博物館は、
アウシュウィッツ収容所の敷地内にある博物館で、戦争中ドイツが
残して行ったアウシュウィッツ関連の文書や図面を多数、保存して
いる事で知られています。又、ロシアにも、ソ連軍がアウシュウィ
ッツで押収したドイツ側文書が多数残っていますが、それらの中に、
「ガス室」の設計図とか見積り書といったものは、結論から言うと、
一枚も発見されていないのです。
例えば、アウシュウィッツ=ビルケナウで今日「ガス室」として
公開されている地下室の設計図を見ると、たくさんある図面のどれ
を見ても、それらの地下室には「死体安置室(Leichen−
keller)」という書き込みがあるばかりで、それらの地下室
が処刑用ガス室として設計された事を示す図面は無いのです。その
ため、「定説」側論者の一人は、「これらの部屋は、当初はただの
死体安置室として設計され、後からガス室に転用されたのだ」等と
説明しているのですが、そんな証拠は何もありません。(後述)
それに、仮にその仮説が正しいとすると、その収容所が建設された
当初は、その「ガス室」を作る予定がなかったという事になります。
つまり、「ガス室」を作る計画がない段階で収容所そのものは建設
されていたことになるわけですが、これはおかしくはないか。何故
なら、二つに分かれたアウシュウィッツ収容所の内、後から建設さ
れた第二アウシュウィッツ(別名ビルケナウ収容所)の方は、最初
から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られた、とするのが、「定説」側
のこれまでの説明だったからです。それなのに、もし第二アウシュ
ウィッツ収容所に、建設当初は処刑用ガス室を計画自体がなかった
というのなら、この収容所(第二アウシュウィッツ)が建設された
目的が、「ユダヤ人絶滅」ではなかった、ということにもなりかね
ないわけで、これは、「定説」側が、これまで主張してきたアウシ
ュウィッツ(ビルケナウ)に関する説明を根本から書き変えるもの
です。それどころか、問題の「ユダヤ人絶滅計画」の実在にすら疑
問が投げかけられかねない話なのです。
この設計図の問題については、プレサック(Pressac)と
いう反見直し論者の研究に触れる形でもう一度触れたいと思います。
なお、「定説」側の本の中には、こうした第二アウシュウィッツの
地下室(死体安置室)の設計図や、マイダネックの殺虫用ガス室の
図面を処刑用ガス室の図面ででもあるかのように載せている本があ
ります。悪質なトリックですが、日本の歴史家たちは、こういう事
に気が付かないのでしょうか?
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何
だったのか?」日新報道・1997年 74〜75ページより)
−−この文中の「『定説』側論者の一人」とは、プレサック氏の事です。
又、末尾の部分で私が批判したのは、みすず書房の「夜と霧」です。−−
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html