現在地 HOME > ホロコースト1 > 197.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 言い忘れたことがありました。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 23 日 21:44:25)
バルセロナより愛を込めてさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
日頃の精力的な投稿を楽しみにしていますし、また、今後に大いに期待してもおります。
「ホロコースト」に関しては、2,3の人にレスした内容が私の認識の現状を表わしています。ただし、事実認識がそこから進展しないことについては、客観的史料の入手が難しいこと等からも、少なからず苛立ち感があります。けれども、最初から(ポーランドにおける収容所建設時)ナチスが「ホロコースト」を計画していた、あるいはシオニストによる「ホロコースト」捏造の謀略があったと双方共に断言するのは難しいのですが、第二次大戦末期には政治的シオニストを中心に彼らと利害が一致する一群が「ホロコースト」のフレームアップを策し、イスラエル建国のために最大限に利用したことはかなりの確度で推断できると考えています。
さて、バルセロナより愛を込めてさんの問題意識の中核は以下の個所に表出していると感じます。
***************************************************************************************************
>彼らの共通の目的は、その背後にある利権と「新たな世界秩序」を作り上げようとする大掛かりで邪悪な意図の隠蔽です。私がほとんど孤立無援の状態でこのような情報を日本に送り続けているのは、このような「歴史観」のワナに気付いてもらいたいからです。
>このような謀略と、「歴史観の再検討」つまり「歴史の全体の構図」そのものの見直しを進めようとする人たちの動きとを峻別しなければなりません。これにはそれぞれの人脈や金脈に関する研究の他にその微妙な差異をかぎ分ける「鼻」を持つことが必要でしょう。2重、3重に仕掛けられた狡猾なワナを見抜いて突破していかなければなりません。これは本当に自分のすべてをかけた闘いなのです。
****************************************************************************************************
こうした問題意識を持つことにたいし他者はどう思うか、計り知れないものがあります。しかし、当人(私も含めて)にとっては自身の知的営為の線上において、一たび今までとは違う歴史のContextの尻尾に触れてしまったならば、それまでの認識をひっくり返されないとも限らない状況が想定されても、ある程度までは真実を追求せざるを得ないものでしょう。それは、『「歴史観の再検討」つまり「歴史の全体の構図」そのものの見直しを進めようとする』当為であり、極自然な知的営為であると思います。けれども、人々の多くがそうした思考の傾向を持っているとはかぎらないことを口惜しくも感じます。
私が「ホロコースト」への関心を持ったのは、古くは何と云っても『夜と霧』が最初です。それから、ニュース映画で見た『アイヒマン裁判』でしたが、おそらく多くの人達がそうであったように忽ち被害者にたいするシンパサイダーになりました。ユダヤ人については、特に「イザヤ・ベンダサン」や映画『屋根の上のヴァイオリン弾き』で知りましたが、ユダヤ人の思考パターンや行動パターンに不思議さを感じ非常に興味を覚えたものです。
それから30年以上を経ての出会いは阿修羅に到達する切っ掛けにもなった、サイト『ヘブライの館』にアクセスしたことによります。『ヘブライの館』は「ホロコースト」やユダヤ人問題をもっと大きな歴史的視野に立って捉えるための材料を与えてくれたと感じましたし、それが巷間に喧伝されていた「ホロコースト」の規模や真実について疑念を懐くことにも繋がりました。同時並行的に、『夜と霧』を読み返してみたり、「タルムード」や「トーラー」の翻訳本をはじめユダヤ人に関する10冊程度の書籍を図書館から借りて読みましたが、未だに疑念は払拭されてはおらず、却って政治的シオニストの暗躍を軸にしたアナロジーに傾斜していく傾向にあります。
事実が隠蔽されたまま、また少ない史料の中から歴史的蓋然性もしくは整合性について考察していくとき、一定のKey-word(=Function&Parameter)を措定することは手続上必要であると思っています。検証され得ぬ過去の隙間の部分を拡大援用して歴史の修正を図ろうとするが所謂歴史修正主義の所作であり、一方、Key-wordをたよりに歴史に潜むContextを読み解こうとする検証のプロセスはReview(再審査)と言うべきものです。
「お上」に弱く、「公」の名の下に流される情報を精査もせずに受け容れてしまう習性がすっかり身についてしまった多くの日本人にとって、Reviewを画するような論理的思考を新たに加えることには相当な困難を伴います。それどころか、多くの場合Revisionistの策動に巻き込まれ易い性向にあることを否めないでしょう。
そのような状況下で、昨今は不遜にも受け取られがちな粗忽な応答の仕方が散見され少し残念に思っていますが、けれども、そのことで木村愛二氏が「ホロコースト」を切り口にしてReviewを広く喚起しようとしていることの意義が些かも損なわれるものではないと考えています。また、バルセロナより愛を込めてさんが現地において「ホロコースト」や政治問題を話題にするとき、ニュートラルな立場が許されない状況にあると云う緊迫感は、如何にしても日本の地に棲む人達にはなかなか伝わり難いだろうと推察し、僅かばかりの同期性さえも創り出すことがままならぬもどかしさを感じています。
でも、めげずに寄稿してくださいな。洋の東西を問わずニュ−トラルな立場にいることを受容されない状況が民間レベルのコミュニケーションの現場にまで迫っていきている事実に早晩日本人も気づかねばならぬでしょうし、バルセロナより愛を込めてさんの投稿は少なからずそのことに寄与するものと思っています。
また、会いましょう。