現在地 HOME > 国家破産39 > 312.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 「コクド・西武がこのような日を迎えるとは思わなかった」(産経新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 03 日 17:19:13)
ワンマン体制の果て “負の遺産”でつまずく
「総資産二兆四千九百億円、世界一の富豪」。かつて米経済誌「フォーブス」に紹介されたコクド前会長の堤義明容疑者。西武鉄道グループを三十歳で引き継ぎ、総帥として君臨する一方、JOC会長にも就任し、公私ともに確固とした地位を築いた。
「リゾート王」、「カリスマ」などさまざまな称号をほしいままにしてきた孤高の男は、約四十年前に、グループ創業者で父親の故堤康次郎元衆院議長から受け継いだ“負の遺産”でつまずいた。
グループ中核企業のコクドは大正九年、康次郎氏が箱根土地として設立。康次郎氏は堤容疑者をスパルタ式で帝王学をたたき込んだことは有名。早稲田大学時代に「冬の軽井沢に人を集めるにはどうしたらよいか」と康次郎氏から課題を出され、堤容疑者が当時珍しかったスケートリンクの設置を提言。康次郎氏がポンとリンクを作ったというエピソードもある。堤容疑者は康次郎氏を信奉し「コピー人間」と評されることもある。
その康次郎氏は昭和三十九年、死去。堤容疑者は弱冠二十九歳で、「徳川家光みたいな生まれながらの将軍」(元幹部)として後を継ぎ、ホテルやスキー場、ゴルフ場を建設し、事業を拡大した。上場していた西武鉄道の筆頭株主であるコクドの大株主という仕組みを通じ、絶対的に支配。「会社の物はかまどの灰まで堤家のもの」(別の元幹部)と言われるワンマン体制を敷いた。
毎年元旦、「鎌倉詣で」と呼ばれる康次郎氏の墓参りを実施。数百人の幹部が参加し、墓前で初日の出を拝み、堤容疑者の訓示を聞くのが恒例行事だった。
ワンマン体制を続けるうち、先代からグループを支えてきた人たちは離れた。「これからのグループの発展は自分が考える。部下は忠実に働いてくれればいい」。やがて、早稲田大学時代に所属した「観光学会」というサークル仲間が周囲を固めるようになり、グループ内で彼らは「観光学会人脈」と呼ばれた。この過程を知人の一人は「昔はフランクな人だったが。だんだん『奥の院』に入っていった」と表現している。
◇
≪堤前会長の主な発言≫
西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載事件で逮捕された前コクド会長の堤義明容疑者(70)は、ビジネスやスポーツをめぐり、さまざまな発言を行っていた。
「かかる事態を招き、誠に申し訳なく思っている」(平成十七年二月、西武グループ改革委員会の再編案を承認、コクド社長を通じコメント)
「株式実務にタッチしておらず、有価証券報告書の誤りは何も承知していなかった」(十六年十月、西武鉄道の個人名義株問題で全役職の辞職を表明する記者会見で)
「今回の事件は(鉄道事業など)公共事業を営む会社として起こしてはならないことをしてしまった。大変申し訳ない」(同年四月の西武鉄道の利益供与事件による会長辞任会見で)
「野球ばかりやってきた松坂は再教育が必要」(十二年十月、西武ライオンズの松坂大輔投手が無免許運転などで書類送検されたことに)
「私は、一リーグ制は面白いと思う。日本のような狭い地域でセ、パが分かれているのがおかしい」(九年七月、西武球場ドーム工事の地鎮祭後の記者会見で)
「本当は雫石(岩手)でやりたかった。しかし、私にとってスポーツはあくまで趣味。観光がビジネス。したがって招致にあたってはどこの肩も持たなかった」(三年十一月、長野冬季五輪の招致名誉会長として招致活動を振り返って)
「もうすぐ球団マークができます。今にみていてください。子供たちはジャイアンツの帽子のかわりにライオンズの帽子をかぶるようになりますから」(昭和五十三年十一月、西武ライオンズのオーナーとなったことを受けて)
http://www.sankei.co.jp/news/evening/04nat002.htm