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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu92.htm
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反日暴動の根っこにある文化コンプレックス
中国や韓国は近代工業文明に適応できるのか?
2005年4月12日 火曜日
◆ 反日暴動の根っこにある文化コンプレックス 4月11日 商社マンに技あり
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000063858
北京や広州で、官許(かんきょ = 政府が許した)デモが起き、 一部の参加者がスポーツ感覚で暴徒と化した。 かねてから、中国の「動乱リスク」について書いてきたコラム 子ですが、 「ほォら、言ったとおりでしょ」 などと鼻をうごめかす気にはならない。
「ごく一部」のはずの暴徒さえ、ちゃんと取締れなかった中国 政府。 中国共産党がきちんとした方針を出し切らず、様子見をしているということは、権力基盤の弱さを自覚しているということだ。 こういうときはたいてい「内部で権力闘争が進行中」なのである。
デモは、「尖閣列島領有権」のことや「日本側の歴史認識」の ことを表向きのスローガンにしているけれど、それが本質ではな い。 若い世代の「対日コンプレックス症候群」が爆発したというの が正確だと思う。
■ ドラコン感覚の投石者 ■
ニュース報道を見ると、この反日暴動、妙にヘラヘラしていた。 日本大使館への投石は、ほとんどゴルフ競技のドラコン(第一打で飛距離を競う遊び)感覚だった。 そして、大使館の前に並んだ中国側の武装警察(日本でいう「機動隊」)は、一向に投石者を捕まえようとしなかった。 いったいどういう指示を受けて大使館の警固(けいご)にあたったのやら。
ふつう暴動というと、人々の顔にはもっと思いつめたところが 出ているものだ。ところが中国の反日暴動はそうではない。 むしろコスプレ感覚といったらいいだろうか。中国の歴史教科書に出てくる前世紀の「排日運動」デモ。 その参加者を演じてみる、「ロールプレー」する陶酔感を楽しんでいたのだと思う。
暴動に参加したこれらの人たち、べつに日本によって個人的な 不利益を蒙(こうむ)っているわけではないのだから。家に帰ればパナソニックのテレビで日本のトレンディドラマの 海賊版DVDを見ている人たちかもしれないのだ。
■「かわいい中国」がなぜ豹変(ひょうへん)■
この配信誌で何度も書いてきた。 中国という空間の独特の感覚。 「たらッ」としていて ぴんとした緊張感にとぼしい 無重力状態のなかに放り込まれるような感覚の ふしぎな空間。 不便なことも多いのに、ふしぎに解き放たれた気分になってし まう。 そういう中国、コラム子も好きだ。
鹿鳴館のようなダンスホールで、みんな着飾って踊っている。 よく見るとステップがばらばらで、目をこらすと美人ちゃんにかわいい腋毛(わきげ)が見えてるよ、というような。 ちょっとズレてる世界が、いとも真面目くさって進行している面白さ。 そういう中国、けっこう好きなんです。 なんでそういう「かわいい中国」が、突然はげしく暴動しちゃうんでしょう。 突然の変貌ぶりに戸惑ってしまうんですね、
日本人は。 わけが分からないから、生真面目な日本人は「何か反省しなき ゃいけないのかしら…」と思って対応してきたわけですが、さすがに最近の「尖閣列島領有権」「国連安保理常任理事国入り」の 件は、「反省」する余地もない。あきれて、ぽかんとして見てるわけです、日本人は中国を。
■「傍若無人」日・中の差 ■
傍若無人。 ぼうじゃく「ぶ」じん、と読みます。 「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」。そばに、人がいないみたいにふるまう。 気をつかわず、「たらッ」とした状態を意味します。ところが日本語では、乱暴狼藉(ろうぜき)をはたらく、とい う意味に使うのが通例になっています。
コラム子愛用の『新潮現代国語辞典』を見ると、『たけくらべ』 からの用例が出ていて、 ≪当るがまゝの乱暴狼藉、土足に踏み込む傍若無人≫。 中国語では、もともとの意味が生きていて、香港で買った『朗文 (Longman) 中學生中文新詞典』にこんな例文があった。 ≪這幾個人在看電影時大聲説笑,旁若無人。≫ (この数名は、映画を見ている間、大声でしゃべったり笑ったり して、まわりの人のことなどお構いなしだった。)
■「自己保存」本能の大法則 ■
たしかに「気をつかっていない」ことを意味する用例。 (こんな例文が辞書に出てくるのは、中国語だけでしょうなぁ。) まあこれが中国空間でして、気をつかわない人たちに教養の裏 打ちがないと、自分勝手丸出しの喧騒(けんそう)の世界となり ます。 で、ここに損得勘定がからむと、「附和雷同」の世界に突入す るわけです。
中国にかつて文化大革命という内戦があり、あまりに問題が深 刻でいまだに歴史の総括がまともにできていませんが、あの文化大革命のとき中国じゅうの職場で何を争ったかご存知ですか。 中国じゅうの工場や会社の職場で、人々が2つのグループに分かれて、 「どちらのグループが毛沢東主席に対して忠誠を尽くしているか」 ということで争ったのです。
勝ち負けが決まると、負けたほうは存在が抹殺される、情け容 赦のない乾いた世界。 「たらッ」とした世界は、乾いてるんですよ。 常日頃、みごとなまでに「たらッ」としてる人たちは、突然に 「自己保存」の本能に目覚めて、なんとか <勝ち組> に就(つ) こうとしたわけです。
■ 趙紫陽は <勝ち組>? <負け組>? ■
平成元年の6月4日に、いわゆる天安門事件がありましたね。 コラム子は、そのころ北京に駐在してました。職場のあるビルの屋上から天安門広場が見えて、5月には昼休 みになると屋上に行って、学生たちが広場で座り込んでいる様子を見ていました。 午後になると、市内でデモがありそうだから早退してよろしい、と所長室からお許しが出て、嬉々として家路についたものです。
あのころの中国人の盛り上がりぶり。 けっこうお花見感覚だったのです。 世の人々は「中国民衆が民主化を求めた動き」と呼ぶかもしれ ません。 わたしには、あれは 「時代の変わり目が予見されるなかで、中国人が <勝ち組> に つくために右往左往した時期」 にすぎなかったのではないかと思えます。 だから、あれだけの盛り上がりぶりが、あっさり収まってしま った。
趙紫陽が <負け組> だと決まった途端に。 6月4日まであれほど盛り上がった中国人は、<勝ち組><負け組>が決まった途端に、実にドライに「自己保存」本能を丸出 しにして、何ごともなかったかのような日々に戻ってしまった。少数の先覚者たち(これも所詮は自分なりの <勝ち組> に賭 けただけという人が多かったと思いますが)が亡命し、何ごともなかったかのような日々が戻った。
■ 「傍若無人」×「自己保存本能」=「附和雷同」■
「傍若無人」の人々は、<勝ち組> <負け組> の岐路(わか れめ)を目前にすると、突然に「自己保存」本能をかき立てられて、人が変わります。 「お前は何でデモに参加しないんだ? ちゃんと附和雷同しないと、あとで <負け組> になってもしらないぞ」 そう呼び掛けられているような恐怖感に突然襲われて、それまで何も考えて無かった人たちがパニック状態になる。 そして「附和雷同」モードになるんです。
「附和雷同」して中国共産党から褒められているあいだは、ど んどん附和雷同する。 そして、あるとき流れが変わって <負け組> のレッテルを貼 られそうになると、附和雷同モードは さーーーーーーァァ ッ と消える。 そしてまた何ごともなかったような「傍若無人」の超ドライな 日々が繰り返される。
■ いつのまにか「日本の亜流」になることの不快 ■
今回のデモ・ブーム。 根が深いだろうなぁ、と思います。 今回のは、日本への文化的コンプレックスにも根ざしているからです。 一般の中国人は、教養不足のため、こう信じているわけです。 「日本の文化というのは、すべて中国から流れたものであり、中国の亜流である」。
ところが現実の生活では、近代化が進めば進むほど、中国社会 の様子がテレビの向こうの日本に似てくる。 別に「日本に学ぼう」なんて、意識してもいないのに。 不愉快。 日本の商品がひたひたと生活のなかに入ってくる。 Jポップスから村上春樹作品まで、なぜかかっこいい日本に比 べて、なぜか中国流は古臭かったりセンスが落ちたり。
日本のほうが「亜流」であるはずなのに、気がついてみたら中 国のほうが「日本の亜流」化しているように思える……。こんなはずでは! という思い。 日本に対して絶対的優越感を持ちたいのに、現実がみごとにこれを裏切る。 閉塞感。
■ タイの反日はどう克服されたか ■
むかし田中角栄内閣のころ、タイで反日デモがあった時期があ りましたね。 日本商品排斥運動がおこった。 ちょうど、タイにひたひたと日本商品が押し寄せて、 「このままではタイはタイでなくなっちゃうんじゃないか。日本 に呑み込まれてしまうんじゃないか」 とタイ人たちはあせってしまった。 「自己保存」本能に火がついてしまったわけです。
今日、バンコクはすっかり現代都市に変貌し、タイ製のトヨタ や いすず の車が走り回り、日本商品や日本風商品が店頭を埋め尽くしていますが、タイ人にアイデンティティ危機の切迫感は、 まったくありません。磐石(ばんじゃく)の王室。 生活に根づいた仏教。 心底から楽しさを求める、地についたユーモア。 ………。
大陸中国の場合、不毛の社会主義化から文化大革命に至る過程 で、伝統文化を圧殺して薄っぺらな社会になってしまったことが、 大いに災いしていると思えます。 現代の中国人は、文化の発掘と振興に懸命に取り組んでいます。 中国社会が、本来持ち前の「ふくよかさ」を取り戻したとき、 反日コンプレックスも薄れていくのではないかと期待しています。
■ あせらず半歩退こう ■
ところで、日本企業にとっての中国市場はどうなるんだ!? 俺たち、悠長なことなんか言ってられないんだよ。日本の会社の社長さんたち、無理しないでください。 「いま中国市場を確保しないと、将来がない」なんて、思い詰めないでください。 中国人は即物的なんです。
憧れの先進国で売れている一流品を、中国人は「附和雷同」し ながら買ってくれます。 中国人は露骨に白人崇拝ですが、「バランス発注」しようとい う意識もちゃんともっている。 中国人がそういう人たちだということを日本人がもっと理解し ていたら、昭和十年代にあそこまであせって中国大陸を占領する ことはなかったかもしれない。
あの戦争は、 「中国市場をいま英米に取られたら、日本の将来はない」 という誤った思い込みから始まったのですから。ここしばらくは、中国市場からは半歩退いて、 「原材料・半製品と高級品の輸出販売」に特化していくのが、得策だと思います。 中国以外の場所で「一流」であり続ければ、中国人はあなたをほうってはおかないのですから。
(私のコメント)
中国の情勢は日本経済にも大きな影響をもたらすのですが、政治と経済は一体のものであり、外交問題で火がつけば経済にも影響するし、経済摩擦が激化すれば外交にも悪い影響が出る。政冷経熱は日中関係を象徴している。しかし政冷の方は教科書や靖国など内政干渉であり中国側がそれを問題にしているのは中国側の内政上に問題があるからだ。
胡錦涛政権を揺さぶっている勢力があるはずで、そうでなければデモに参加した若者も安心してデモなど出来ない。警官隊も遠巻きに見ているだけで、最初はやらせデモだったのでしょうが、だんだんと過激になり始めている。胡錦涛の力量が試されているのでしょうが、このままではオリンピックや万博は開けなくなり政権を失脚するかもしれない。
順調な経済発展が中国共産党を支えているのですが、最近にわかに経済状況に変調が見られるようになったことも、対日圧力が増した原因なのかもしれない。何度となくバブル経済の崩壊を予測してきましたが、いよいよ起き始めたのかもしれない。あるいは今度の反日デモが外資の引き上げを招ねく結果になるだろう。
中国は改革開放を政策にしても共産党政権に変わりは無いから、いつかは経済格差などが問題になり第二の文化大革命が起きるか、第二の天安門事件が起きる状況がある。安易に官製デモでも起こしてそれが暴動になる事を計算してなかったのだろうか。現在の改革開放政策を快く思わない守旧派を胡錦涛は一掃出来るのか、出来なければ第二の趙紫陽になりかねない。
天安門事件の時は趙紫陽が失脚してもケ小平が実権を持っていたから改革開放は継続できたが、今回のデモが第二の天安門となった場合は歯止めが利かずに、胡錦涛は失脚して第二の文化大革命まで後退してしまうかも知れない。なぜならば改革開放でいい思いをしているのは1億数千万人の都市部の住民であり、10億人以上もの農民層は改革開放に取り残された。
では一体誰が中国を仕切っているのだろうか。対外強硬派と呼ばれる軍部が勢力を拡大しているのかもしれない。毎年17%もの軍事予算の拡大は共産党よりも軍部に実権が移っている可能性を物語っている。胡錦涛も対外強硬派に配慮して靖国問題や教科書問題などに注文をつけて、反国家分裂法まで成立させざるを得なくなった。
このような動きは改革開放政策と真っ向から対立する。アメリカや日本や台湾から資本や技術が入ってこなくなれば改革開放政策の継続は不可能だ。それでも日本に靖国で抗議して反国家分裂法を成立させた。ということは胡錦涛は対外強硬派と妥協して改革開放を大幅に後退させざるを得ないだろう。それが出来なければ胡錦涛自身が失脚する。
◆今度は反日デモでジバク状態? 4月11日 日々是チナヲチ
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/e/f1c3a87ededb4f1db709684485520683
ごく個人的な感想として、どうも最近、胡錦涛は影が薄いというか、昨年秋の断固とした姿勢、「俺が全部仕切るんだ」という気迫、そういうものに欠けていて、それで例えば対外強硬派から後手後手に回った対日外交などを批判されて妥協したり、押されまくっているように思えるのです。
1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽・元総書記が今年1月に死去した際、その生前の事蹟に対する評価や葬儀の格式などについて党の元老格や物故した国家指導者の家族などから激しい突き上げがありました。それについては当ブログも当時リアルタイムに詳報しましたが、どうもあの騒ぎを乗り切ったあたりから指導力に翳りがみえているような気がしてなりません。
江沢民・前総書記をさえ子供扱いできる党の元老・長老は、それまで胡錦涛の有力な支持基盤のひとつでした。昨年8月に江沢民を引退に追い込んだのも長老連の支持があったればこそと私は邪推しているのですが、もしかすると故・趙紫陽氏の処遇で大揉めしたのを契機に、以前ほど可愛がってもらっていないのかも知れません。
「強権政治・準戦時態勢」を実現して中央の統制力を大幅に強化して、20年以上にわたる改革・開放の過程で生まれ、癌のような存在に成長した様々な矛盾や対立軸を改善する。抵抗勢力(既得権益層)は力づくで排除(そのための強権政治&統制力強化)し、それによって中共の延命を図る。延命措置が奏功すれば、党勢回復の道へと力強く踏み出す。……再三言及していますが、私はそれが胡錦涛政権の企図であり使命であると当初より考えています。それが果たせなければ、中共は早晩潰れるでしょう。
昨年秋までは、胡錦涛は「強権政治・準戦時態勢」の道を着実に進んでいました。ただその後足取りが怪しくなってきて現在に至っています。地方の指導者レベルには自分の派閥(共青団系列)に連なるホープを次々と送り込んではいますが、「党総書記+党中央軍事委員会主席」という最高指導者にしては、目下のところ掌握力が心もとない印象です。
今回『中国青年報』を通じて投じられた一石がどういう効果を生むのかは転載状況や他の記事の論調の変化なども含め、じっくりヲチしていく必要があります。実際、この記事が今日出るのと軌を一にするかのように、「新華網」や大手ポータルのニュースサイトにおいて「反日」記事が急減した印象があります。あくまでも個人的な感想ですが。
「下手をすると中共の命取りになります」
という言い回しを最近多用している気がしますけど(笑)、いまの中国は本当に異常な状態にあるのです。考えてもみて下さい。珍獣・糞青によるものとはいえ、またテーマが「反日」であるとはいえ、何と中国各地でデモが行われている!これは1989年の民主化運動以来の危険な状況です。しかも糞青たちはデモの道すがら一般市民が加わってくるのを拒まない。それゆえ暴徒化のリスクが高く、実際暴徒と化しています。
それでも被害が日本関連だけなのは辛うじて「反日」でまとまっているからで、もし民衆(市民と出稼ぎ農民)が大挙参加してくれば、「反日」の範囲を超えての焼き打ち・略奪などのような事態になるかも知れません。どの方向にどう荒れるかわからないのです。そうなったとき、仮に治安部隊との衝突で死者が出ても、ベクトルの向き、つまり騒ぎの鉾先を「反日」とは別の方向へとシフトさせる要因たり得るでしょう。
くどくなることを承知で書けば、社会状況からして「物価高+失業+貧富の差拡大+党官僚の汚職蔓延」で危険水域にあります。実際に「反日運動」とは全く別の次元で、小規模の暴動が起き始めています。それに加えて全国各地で週末になるとデモが行われ、一部はプチ暴動になっているのです。
(私のコメント)
私は中国の専門家ではないので政権内部の抗争までは分析できないのですが、文明評論的に言えば中国人や韓国人は近代工業文明に適応できない。海外から資本や技術を導入すれば経済成長は出来てもそれが止まると停滞してしまう。その苛立ちを日本に対してぶつける事が彼らの習性になってしまった。
中国人はイギリスやフランスやロシアや日本などに負け続けて国土は分断されて植民地化されてきた。白人を崇拝しその手先になることは抵抗なくとも、同じ顔をした日本人には支配されたくはない。だからこそ反日でデモが起きるのですが、反日意識が抜けない限りは永遠に日本に追いつけない。
近代文明は非常に高い能力やモラルを要求する。その辺のところは日下公人氏の本などに書いてありますが、社会のシステムが高度化すればするほど高いモラルが要求される。貸した金は返すとか知的所有権には金を払うとか当然なのですが中国人や韓国人には通用しない。だから近代工業文明には適応できない。アメリカですらモラルの衰退が国力の衰退をもたらしている。
◆日下公人(著)「道徳という土なくして経済の花は咲かず」 アメリカ凋落への分岐点はベトナムだった。2004年3月28日 「株式日記」
http://asyura2.com/0401/dispute16/msg/733.html
《先住民.インディアンから略奪した広大な土地に、天然ガスや石油など資源なら何でもあって、不足しているのは「人問」と「資本」だげという時期があった。人間はヨーロッパから移民が入ってきたが、本国で経済的に恵まれなかった人々、いわぱ食い詰めものばかりだった。それでも広い土地を開拓していくためには労働力は際限なく必要だった。工業が発達するには資本が必要である。オランダとイギリス、少し遅れてカナダが、広大た国土や豊富な資源をもつこの新興国に成長を見込んで投資をした。
しかし、海のものとも山のものともつかない新興国アメリカの企業に投資するのは、心配で仕方がない。そのため厳しい会計制度を作って、強制した。帳面をしっかりとつけてそれを公開しろ、社外の取締役を入れろ、監査をしろ、監査法人をつくれ、取引所に上場するときは会杜の中を全部調べさせろ、などと数多くの条件を提示した。
お金が必要だったアメリカは、背に腹は代えられない。この厳しい制度を文句も言わずに受げ入れたが、その甲斐あって工業化は一気に進んだ。政府主導による産業振興と保護貿易を押し進めた結果、十九世紀の末には、世界一の経済大国へと急成長した。今、世界の国力に「市場原理」と「自由競争」を説くアメリカだが、歴史を振り返ると、「保護主義」の国で、あまり道徳的ではない人たちが、先住民や諸外国に対してほしいままに侵略や略奪を繰り返してきている。》