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日下公人(著)「道徳という土なくして経済の花は咲かず」 --- アメリカ凋落への分岐点はベトナムだった。
2004年3月28日 日曜日
◆アメリカが爆発的な発属を逐げた要因
二十世紀の末、アメリカは地球上で唯一の超大国となった。世界のGDPの三割に達する経済力と圧倒的な軍事力で、世界のリーダーを自認している。日本や中国、ヨーロッバ諸国などの歴史と比べるときわめて短い二〇〇年という期問で、アメリカは並ぶもののない飛び抜げた存在になった。国土は広いが、移民が大勢いるだげの二流国にすぎなかったアメリカが、高度成長を遂げるのは一〇〇年ほど前である。
先住民.インディアンから略奪した広大な土地に、天然ガスや石油など資源なら何でもあって、不足しているのは「人問」と「資本」だげという時期があった。人間はヨーロッパから移民が入ってきたが、本国で経済的に恵まれなかった人々、いわぱ食い詰めものばかりだった。それでも広い土地を開拓していくためには労働力は際限なく必要だった。工業が発達するには資本が必要である。オランダとイギリス、少し遅れてカナダが、広大た国土や豊富な資源をもつこの新興国に成長を見込んで投資をした。
しかし、海のものとも山のものともつかない新興国アメリカの企業に投資するのは、心配で仕方がない。そのため厳しい会計制度を作って、強制した。帳面をしっかりとつけてそれを公開しろ、社外の取締役を入れろ、監査をしろ、監査法人をつくれ、取引所に上場するときは会杜の中を全部調べさせろ、などと数多くの条件を提示した。
お金が必要だったアメリカは、背に腹は代えられない。この厳しい制度を文句も言わずに受げ入れたが、その甲斐あって工業化は一気に進んだ。政府主導による産業振興と保護貿易を押し進めた結果、十九世紀の末には、世界一の経済大国へと急成長した。今、世界の国力に「市場原理」と「自由競争」を説くアメリカだが、歴史を振り返ると、「保護主義」の国で、あまり道徳的ではない人たちが、先住民や諸外国に対してほしいままに侵略や略奪を繰り返してきている。
豊かになって、何でも世界一であることを謳歌し、自由の総本山を自負してきたけれど、国家の品格を決める「道徳」や「倫理」はまだ身についていないようだ。ソビエトの崩壌で冷戦構造が消えて一国優位になった現在、気に入らない国々への経済制裁や軍事行動あるいはグローバル.スタンダードという名の「自分たちのやり方」の押しつけなど、傍若無人の振るまいが目立つ。およそリーダーらしからぬ独善的な素顔を露わにしはじめている。
◆お互いに遠慮し合ってこそ『社会」
力を頼みに有無を言わせず従わせようとする姿勢は、道徳的な国家とはとても言えない。ただし、アメリカも発展途上にあるときは道徳国家だった。少なくとも約束したことは守ったし、他国への干渉もさけてきた。道徳国家だったのは、第二次世界大戦以前は先輩のヨーロッバの国々に対しては遠慮があり、その後は社会主義陣営の大国・ソ連に対する遠慮があったからである。さらにソ連に対抗するものはすべて仲問だという「共同体精神」があった。
お互いに遠慮しあうことを「社会」という。これは国と国との関係でも変わらない。野放図に自分の都合だけで振る舞って、まわりへの遠慮がなくなったなら、その国は国際社会で生きていることを失念しているのである。
「アメリカにはいつも敵が必要である」としぱしば言われる。敵がいないと暴走するの.は、自律的な道義、がまだない証拠で、自分をコントロールする倫理を持ち合わせていないためアメリカは時に暴走する。しかし不思議だが、牛の大群の暴走と同じでやがて止まる。「力がすべてではない」と気づくと、倫理が生まれる。
倫理の「倫」という字は、「にんべん」に「金」と書くが、これは人間が集まって「輪」になり「和」をつくるという意味だ。「くるまへん」に変えると、車輪の「輪」になる。集まった人間間の道理や根本原理を「倫理」という。
人間が集団になったら、ルールやマナーやエチケットを守ったほうがお互いに暮らしやすくなる。これを書き出したものを「道徳」と言い、それを強制すると「法律」になる。語義から述べると、文章化されたルールが「法」で、それを守らせるために罰則や刑務所をつくると「律」になる。律には強制力が伴っている。強制力をもったルールの背景には、和して集まっている人間集団がある。つまり共同体がある。
「俺が一番強い」「俺の言うとおりにしろ」と言うとき、そこに「倫理」はない。アメリカは地球上で他国にまったく頼らず暮らせるのかといえぱ、それは不可能だ、「みんなから総スカンをくらったらどうするのか」ということに、アメリカは今のところ気づいていないように見える。
◆アメリカ凋落への分岐点
「攻勢終末点」という軍事用語がある。勝ち続げているうちは、攻めて攻めて攻め続ける。が、あるところで国力の限界が来てぱたりと止まる。後は退却に次ぐ退却である。太平洋戦争の日本でいえばニューギニアやガダルカナルで、日本の攻勢はここで止まった。反撃力を蓄えたアメリカと、六か月にわたる猛烈な戦いを繰り広げたが、ここから違合軍の総反攻が始まった。
ナチス.ヒットラーの場合は、モスクワ郊外五〇キロの地点だった。市電の終点駅の間近まで迫り、ソ違兵は市電に乗って逃げていった。「明日、突入してやろう」とドイツ軍が陣容を整えているところに大寒波が襲い、そこが攻勢終末点だった。攻勢はいつかは必ず止まる。攻勢終末点は、誰にでも、どこにでもある。十九世紀、ヨーロツバを席巻したナポレオンもモスクワまでだった。同じくロシアの侵略も東進はアラスカまでで、南進は朝鮮までだった。
しかし、攻勢終末点にさしかかったころは、まだまだ勝てると思うものである。多少形勢が悪くなっても「来年の春になれば」「少し態勢を整えてもう一度」などと自分に都合よく考えて、冷静に判断できる人は少ない。「まだまだいける」と判断した地点が実は攻勢終末点だったとわかるのは後からである。そこは退却、敗走への分岐点で、ヒットラーもナポレオンも、そうして国を減ぽした。
攻勢終末点は、後になって地図で見るとよくわかる。年表からその時期を指摘することもたやすい。だが、そこに近づいたことを知ることはできないのだろうか。困難ながらも、手痛い敗北を喫するまでに、前兆から察知することは可能である。その前兆は、第一に「まだまだやれる」と思っていることだ。第二には、追いつめられた敵が新兵器や新戦法を繰り出してきても、それに対して「鈍感」になってくる。勝ちに奢っているから、鈍感になってしまう。
もちろん第一線にいる将兵は、新しい戦術や兵器の力が文字通り肌身でわかるから報告する。ところが後方にいる上の人は「弱気を出すな。もう一押し頑張れ」と鼓舞するだけになる。鈍感さは、相手に対する研究がずさんになることへとつながり、ますます傷は深くなっていく。ガダルカナルでも同じ現象が起こり、ヒットラーもまた同じ轍を踏んだ。ベトナムでのアメリカも可じだった。
アメリカは今はテロという新戦術に直面している。将来は中国がまったく新しい戦法でアメリカに対抗するだろう。が、それゆえの用心が足りない。第三の前兆は、自分の弱点を指摘されたときに怒ることだ。日本にもあった。「わが日本軍にはこういう弱点があるから直しましょう」と提言すると「そんな弱気なお前は首だ。前線へいって戦死してこい」と、飛ぱしてしまった。
◆「攻勢終末点」を迎えたアメリカ
古今東西、あらゆる戦争でこうした前兆が現われると、攻勢終末点は意外に早くやってくる。急転直下、といってさしつかえないだろう。これは戦争に限らない。会杜でもまったく同じことがおきる。私のいた日本長期信用銀行にも、見事なくらいこの兆候が現われていた。「まだまだバブルは続く。金を貸して土地を買っていれば大丈夫。ピルを買っておけぱ大丈夫だ」と、威勢がよかった。「もうそろそろ退く潮時では」と言う人は「うるさい」となる。その後、長銀がたどった道はご存じの通りである。
今、アメリカにこんな兆侯を探すと、いくつかある。イラクではまだまだ自分たちの駐留が必要だと主張し、ゲリラや自爆テロに対して重装備のアメリカ兵が対時している。自分たちの弱味を突かれると謙虚に反省しないで怒る。「これは正義の戦いだ」と主張する。「これに文句を付けるのは、邪悪な敵に味方することだ」と断定的になる。その上「敵か、味方か。中立はないぞ」と選択を迫る。こんなことを言い出す国は没落への道を歩み始めている。
夫婦ゲンカに置き換えてみるといい。「お前はおれについてくるのかこないのか」などと言うご亭主に、将来性は感じられない。これは最後のセリフであって、そうなる前に、いくらでも穏当な話し合いができるはずである。正義を持ち出して二者択一を迫り、中立を認めないのは、共同体精神の否定である。
夫婦は共同体で、国際社会も共同体だ。お互いに持ちつ持たれつなのだから、話し合いで折り合いをつけて暮らしていくのが倫理で突然「正義だ」「十字軍だ」と言うのは、不穏当である。その点、聖徳太子以来一四〇〇年の歴史がある日本は和の精神が身についている。ヨーロッバも身についており、"ひとつの欧州〃として文字通りEU(欧州連合)を形作っている。(P16−P23)
日下公人(著) 「道徳」という土なくして「経済」の花は咲かず
(私のコメント)
日本の31兆円ものドルの買い支えはサウジが売った分を日本が引き取ったものだろう。あるいはEUの資金引き上げに対する分もあるだろう。アメリカのイラク攻撃はやがてはサウジへも矛先を向けてくることが予想されている。いままでサウジの金持ち達はアメリカへ預金していましたが、サウジが敵にされるということは資産を差し押さえられる恐れがあるからだ。
アメリカは日本のドルの31兆円もの買い支えに感謝しているのだろうか。日本の外貨準備は7000億ドルにもなっているが、アメリカはどうやってこれを帳消しにしてかかるかを考えるような国だ。中国にも4000億ドルものドルが貯まっている。これをいっきに放出されたらアメリカはクラッシュしてしまう。
これほどの巨額の借金をアメリカは返せるのだろうか。日本はともかく中国への借金はアメリカにとって不安要因だ。イラク戦争でサウジがアメリカ離れをしてドル離れが進んでいるのも気がかりだ。ブッシュ大統領はサウジと深い繋がりがあったが、ネオコンに操られて一転してサウジを敵にし始めた。つまりアメリカに恩を売ってもアメリカは恩を仇で返してくる可能性がある。
日本はこれからアメリカに対してどのような戦略で対応してゆくべきだろうか。一つは小泉路線でアメリカにどんな目にあわされても従ってついて行くという路線だ。これは国民の忍耐力とプライドの問題であり、どこまでこの路線が保てるかが疑問ですが、一つの選択肢だ。軍事面で見れば当面はアメリカの言うがままにするしかない。
二つ面は時と場合に合わせて中国ともアメリカに対して共同戦線を組んで対峙してゆく路線だ。経済面ではこの戦略が有効かもしれない。日本と中国はアメリカに対しては利害が共通している面もあります。やがては日米関係より日中関係の方が大きくなるだろう。となるとアメリカばかりに追従しているのは得策ではない。
三番目は独立した軍事力を整備して日本の国益を追求していく路線ですが、中国、ロシアが核大国である以上、日本も核兵器とミサイルを装備して対抗してゆく事ですが、アメリカの軍事力が後退したらその路線を取らざるを得ないだろう。世界一強大な軍事力をもつアメリカも経済がクラッシュしたら軍事力は大幅に縮小せざるを得ない。
アメリカといっても建国して230年の歴史しかない新興国に過ぎず、大英帝国が分離してアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとなったわけで、たまたま地下資源や人的資源が恵まれてアメリカが飛びぬけて発展した。しかしアメリカ国内の石油資源はピークをうっており、人的資源も新たにヨーロッパからの移民は望めない。
むしろ資本はアメリカからユーロッパへ引き上げており、流れは逆流している。一部は中国へ流れているが日本へもやがて回ってくるだろう。大局的に見ればアメリカの凋落への条件は揃って来ており、イラク戦争はアメリカの悪あがきに過ぎない。だからこそ日本は来るべき時に備えて戦略的に行動すべきだろう。