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難航している郵政民営化だが、民営化反対派との間の
調整のポイントはだいたい見えてきているようにも思う。
一方で、逆に懸念されるのは
「ここまで妥協するなら民営化の意味がない論」を叫ぶ人達だ。
ここでは「基本方針固執派」、略して「固執派」と呼ぼう。
何度も書いてきた通り、小生は「民営化」という背骨さえ残れば
それだけで十分に価値があると考えている。
http://blog.melma.com/00099352/20050405231452
しかし、今後調整が進むに従って「固執派」の声が大きくなれば、
肝心の「民営化」自体が危機に陥りかねない。
今日は、彼らの主張を斬ってみたい。
まず、再三書いてきた郵貯・簡保の「全株売却」の問題だ。
彼らは、国が3分の1の株を持ち続ける「持株会社」から
郵貯、簡保を切り離さなくては、「暗黙の国家保証」が残り、
民間企業を圧迫し、市場を歪めると言う。
これに対し、政府出資の財投機関や日本たばこを例に
政府が出資しているからと言って、
必ずしも「暗黙の政府保証」など存在しないことを前に示した。
http://blog.melma.com/00099352/20050329232426
しかし、仮にうっすらとした「暗黙の政府保証」があるという
見方を認めた場合に、「民営化の意味がない」、もしくは
「民営化すべきでない」と言えるのだろうか?
それは明らかに違う。
その議論は前提として「民営化」したら業務を拡大するが、
「国営」のままなら業務を拡大しないという前提に立っている。
しかし、「民営化」しようが「国営」のままだろうが、
彼らは政治力を駆使して業務の拡大をひたすら続けるに違いない。
彼らのこれまでの歴史を見ればそれは明白だ。
「国営」ならそれがセーブできるというのは机上の空論である。
その場合に「民営化」後の「暗黙の政府保証」しかない場合と
「国営」の「明白な政府保証」がある場合のどちらが有害だろうか?
答えは自ずから明らかだろう。
まして、毎年1兆円の免税(=補助金)まで続いていたら話にならない。
つまり、仮に「暗黙の政府保証」の存在を認めたとしても、
それを理由に「民営化すべきでない」という結論を出すのは
間違っているのである。
いわんや「暗黙の政府保証」なんてあやふやなものなのだから。
明日は「基金」の問題を斬ってみたい。
http://blog.melma.com/00099352/20050410225012