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(回答先: 宗教が権力を持ってるのでしょうか? 投稿者 kokopon 日時 2005 年 7 月 29 日 11:08:56)
kokoponさんの書かれていることは具体的にみえてその実抽象論であるように思います。具体的にどのような時にどのような圧力、影響があったかということが書かれていませんので。
そういう抽象論が悪いというのではありません。宗教と政治を考えるにおいて、これもよい提示になると思います。
一方で、創価学会については、もしこの阿修羅で投稿される関連するものを全てお読みになられていたら、かなりの具体的な様相といったことが既に少しおわかりになっているのではと思います。その場合、もしかしたら、具体性のないものとあるもの、という対比になり、これはこれで考えるときには比較がしにくいのかもしれません。
僕は「政治と宗教」の問題は、人間における菌の存在のように思います。
日本にも様々な宗教信仰があり、「政教の分離」の原則から、また実際に宗教が政治に関わることの危険性から、その一部の団体は政治的に選挙応援などもしていることからこの場合それら全てがたとえとして「菌」と呼べます。注意すべき点は、その集団の人数(規模)の多寡は「菌」の害の強さとは正比例しないことです。少量でも人体にとっては猛毒の「菌」もあれば、多量でもそれほど害にまでは至らないものまで、現実の「菌」にもいろいろあるのと一緒です。
そして、それらの「菌」を「菌」だからという理由で全て滅菌消毒することは現実的ではないし、かえって薬や消毒薬などによる副作用などの懸念も生じます。できれば、効能があるものはかならず副作用があるという薬や消毒薬などは使わないのが健康に一番良いのは言うまでもありません。
さて、創価学会の場合ですが、既に猛毒菌といえないでしょうか?
たとえば、次の記事をお読みください。
ここまで議会政治を麻痺させている宗教団体はかつてありません。
自民党議員46人を寝返らせた『学会票』の”恫喝”(『FLASH』2005.08.02号)記事全文
http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/754.html
投稿者 外野 日時 2005 年 7 月 30 日
一番の憂える要素は、新聞・テレビなどの大メディアが創価学会を強度の「タブー扱い」していることです。
「多くの人々にとって、メディアに取り上げられない事象は、存在していないことと同じである。現実にわれわれが見聞きできるもの、逆にわれわれが見聞きできないものも含め、すべては、マスコミの世界をコントロールする者たちによって決定されているのだ」『創られる現実〜ニュース・メディアの政治』マイケル・パレンティ著より
といったことが、今日本で創価学会に対しては起きていることだと思います。
選挙の投票率があと10%上がれば、創価学会票はそれほど意味のあるものではなくなります。しかし、そのような意識的な行動すらそのため起きないと僕などは考えています。
*参考
自民党も大手メディアも裏で操る 創価学会”鶴のタブー”の恐怖支配 (藤原弘太郎)
http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/149.html
投稿者 外野 日時 2005 年 6 月 22 日