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(回答先: Re: 欧米人の東洋コンプレックス 投稿者 都会暮らし 日時 2005 年 5 月 27 日 03:44:20)
という表現、なかなかよいです。
>他人や社会との関係性(スクリーン)の中においてしか、自己像を結べない。
>だから仕事を引退したり、配偶者と死別したりして、今まで自分が映っていたスクリーンが降ろされてしまうと、存在じたいが危うくなる。
>「ここは何処? わしは誰?」である。
こういう人ってとても目に付きます。団塊の世代より上の方々に多い。
少し前に流行った「定年まで待って退職金を半分もらって離婚する」なんてタイプもこれかな。
私の場合職業柄、家庭内の事や自分の事など身の上話をよく聞かされます。特に女性の方の訴えを聞く場合が多いので、自己像を結べない人が頻繁に登場する。
で、女性はそのあたりがよく分かっていて、自分の結婚相手が「こんなの」だったのかと落胆しまくるのだけど、打算上離婚は選択しない。もう一度結婚前に戻れるなら「こんなの」とは間違っても結婚しないとどなたも断言される。そしてその当事者の自己像の結べない本人は自分の妻がそんな想いを抱いているなど微塵も気がついていない。悲劇ですよ、聞いてても堪えられない。退職金の半額と年金の半額を間違いなくもらえるという保証さえもらえるならすぐにでも離婚したいなどと声を潜めるでもなく断言されたりする。
男尊女卑が当たり前の時代、つまり戦中派以前の世代にこのタイプがとても多い。それも富裕層ほどこの傾向は強いのではないかと思ったりしますが確証はありません。
他人の中に在るイメージでしか「自己」を感じられないその理由は何でしょうかね?
「あなたはこの家の長男なのよ!」とか物心ついた頃から「自分」というものは思想とか価値観による「自己」ではなく「何々家の跡取」というものだとしたら自己像の結べない人間になる可能性は確かにある気がします。勿論そんな理由だけではなさそうだけど思い付きません。