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http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/catholic/catholic.htm
フランス在住のカトリック&比較文化研究者という竹下節子さんのウエブからです(古川利明さんのリンクから知りました)。つまらない質問ですがベノディクトの表記はVで始まると思っていたのですがBなのでしょうか?February=>févrierのようなものですか?
==== 以下貼り付け=====
ベネディクトゥス16世について (2005.4.30)
新ローマ法王ベネディクトゥス16世(以下B16)が即位したことで、それまでヨハネ=バウロ2世(以下JP2)の追悼一色だったメディアが急にB16の特集を組み始めた。JP2が教皇に選出された時はまだ58歳の若さで、穴馬の外国人法王というわけで多くのデータがなかったのだが、B16は、すでに20年もJP2の右腕として教理省のトップであり、枢機卿団のトップにまで登り詰めた人物だから、メディアにはB16の情報の膨大なストックがある。だからこそ、出身国のドイツは、法王選出の翌日の夜にはもう特集番組を放映することができた。各種の新聞雑誌も、過去に掲載したさまざまなインタビュー記事をこぞって再録した。
B16は、そもそも、JP2からヴァティカンに呼ばれた時、著作活動を続けてよいという条件でOKしたという経緯がある。JP2は、それについて即答せず、回りの意見を聞き、前例が存在するということで著作活動を許可したそうだ。(このエピソード自体が、ローマ法王は独裁者のように言われているが、実際は何でも伝統を重んじて側近の意見も聞いて決める慎重な人柄なのだと教えてくれる。)だから、自伝を含むたくさんの著作や対話集などが刊行されていて、B16の考え方というのは、広く知れわたっている。また、彼がJP2と共に書いたり教理省の名で出した教書や公式文書などもたくさんあり、その中には2000年に出した有名な『Dominus Jesus』もある。これは、救いへの道はひとつでないとして他宗教との共存を目指した第二ヴァティカン公会議(以下V2)の精神に逆行して、他宗教に対するキリスト教の優位、キリスト教の中でのカトリックの優位を明言して、諸宗教対話の前途に暗雲をもたらしたと言われた。
女性司祭の禁止や避妊中絶の禁止など、JP2も保守的に過ぎるとカトリック進歩派から批判されてきたが、20世紀末頃からは、老いと病との戦いぶりがあまりにも壮絶だったので、JP2への直接の批判はすっかり鳴りを静めていた。その代わりといってはなんだが、異端審問官のようにこわもてのラツィンガー(B16)が、頑迷な保守として非難の矢面に立った観もある。結局、JP2は、何度も危篤を噂されながら21世紀の始まりを生き延びたので、2005年にようやく訪れた死の時点では、「勇気ある慈愛の父JP2」と「冷たく官僚的なB16「という構図がなんとなくできてしまっていた。
しかし実際は、どうだったのだろうか。今、公平にみて、JP2もB16も、司教として直接V2に関わった世代だ。V2の文書の中には確かに、救いに至る道は一つではないという趣旨のことがあるが、それだけではもう宗教としてのアイデンティティが危うくなる。成熟して老成した宗教の反省をこめた余裕でもあるが、実は、キリスト教や、カトリックの優位は否定されていない。JP2やB16が口にした一見「反動的保守的」と思える見解は、V2の精神に抵触しないし、教理の責任者としては当然の首尾一貫した言説なのだ。当事、私は、せっかくJP2が大聖年に向けてカトリックの歴史的過ち(十字軍からガリレオ裁判まで)を謝罪してまわったのに、ラツィンガーが『Dominus Jesus』で強硬に出たので友好的雰囲気がだいなしになったとがっかりしたが、キリスト教やカトリックの優位、救いにおけるイエス・キリストの絶対性は、彼らの拠って立つ「信仰」の部分なのであって理屈ではない。違うことを期待する方がおかしいのだ。たとえば妊娠中絶を悪と言い切ることをとっても、彼らの信仰から当然導かれる帰結でしかない。私は個人的には、中絶の決定は妊婦のみに属すると思っている。中絶が妊婦の心身にとってネガティヴなのは言うまでもないので、できるだけ出産に至れるような社会的経済的条件がつくられるべきだ。「生みたい」のに外的条件によって阻止されたりあきらめざるを得ないということがないように、養子システムもふくめたいろいろな援助や政策が欲しい。けれども、私の回りの普通のフランス人カトリックの人で、中絶するかしないかでローマ法王の意見に左右されるなど聞いたこともない。避妊についてと同様、一顧だにされていないのが実情だ(実際、ヴァティカンはエイズ予防の避妊具も否定するがフランス司教団は正式に認めているなど国によってニュアンスが違う)。 しかし、本当に、中絶すべきかどうか迷って法王におうかがいをたてたくなる立場の人がいるとしたら、そこで「どっちでもお好きなように」などと法王が言うわけにはいかないだろう。迷う人は、法王のお墨付きをもらって生むことができる。コソボの民族浄化でセルビア人兵士に妊娠させられた女性に対しても、ローマ法王の見解は「生め」だった。その時はひどいと思ったが、中絶できる人は迷わずとっくにしているだろうし、機を逸して生まざるを得なくなった人にはローマ法王の言葉が、生まれて来る子との関係を祝福してくれただろう。周囲の手助けも得られやすかったに違いない。
ローマ法王までが「中絶してもよい」などというと、生まれた子や生んだ母はいったいどんな気持ちになるだろう。そう思うと、JP2やB16の、信仰に拠り、大局に立った首尾一貫した明言を批判する気になどなれない。第一、彼らは、中絶禁止と言っているが、中絶してしまった人を罰するようなことは一切しない。離婚して再婚したカトリック信者は姦通の罪を犯しているとして聖体拝領できないが、誰かが中絶したかどうかは問われないし、告白しても贖罪の道が開かれている。(実は、B16は、再婚者に聖体拝領や既婚者の司祭叙偕を許可する教書をだいぶ前から用意しているそうで、正式認可が待たれている。) 実際、2004年の米大統領選挙キャンペーンで、カトリック候補のジョン・ケリーが進歩派の票集めのためか中絶合法化を唱えたとき、アメリカの枢機卿たちが聖体拝領禁止の運動をしてヴァティカンにも訴えたが、B16は曖昧に口を濁してしまった。彼はこれについて、カトリックだと自称する人間が政治に関わるときはカトリックとしての信仰にインスパイアされて欲しい、と語ったが、中絶合法即破門という原理主義的な発想でないことをはっきりさせた。教理省のトップの時代にも何かを独断で決めることはなく、人の話をよく聴き、合意のない時は祈ったそうだ。「解放の神学」を潰したことでも知られているが、件の神学者をお茶に招待して、雑誌のインタビューに出ることを控えてくれと丁重に頼んでいたという証言を読んだ。
JP2も神学者として教授職にあったインテリだが、年下のラツィンガーを尊敬していたという。ポーランド人にとってドイツの権威の歴史は根が深いそうで、ルブリン大学の教授のJP2は、ボン、ミュンスター、チュービンゲン、ラティスボンなど錚々たる大学で教鞭をふるったB16に教理省を任せることで、「田舎者」法王の治世に知的保障を与えたかったのだとする説もある。B16が若き日にヒトラー・ユーゲントに属していたことをスキャンダラスに書くメディアもあったが、1940年、13歳で強制的に学徒動員されたのでは選択の余地がない。16歳で、聖職志願を理由に後方支援にまわっている。2004年6月6日のノルマンディ上陸作戦の60周年記念式典のヴァティカン代表としてJP2が送ったのも、このドイツ人ラツィンガー枢機卿だった。B16には少なくとも「戦争責任」はあり得ない。
イタリアのジャーナリスト、メッソーリが昔、「法王庁がドイツにあった方がよかったと思っているのでは?」とB16に質問したとき、彼は、ドイツにあったら何もかもきっちりと組織され過ぎてよくない、イタリアだからこそ個人のイニシィアティヴも発揮できるし、パーソナリティに自由が与えられるんです、という趣旨で答えた。ユーモアもあるし、謹厳な原理主義的固さはない。最近『ダ・ヴィンチ・コード』 のダン・ブラウンの処女作『天使と悪魔』というミステリーを仕事で読んだが、そこに出てくる、科学を目の敵にした秘密主義のヴァティカンとは全く違って、教理省トップの地位にあったB16は、1998年にヴァティカンの異端審問関係の文書を含む図書を世界の研究者に閲覧許可することを決めたし、禁書書庫にテレビカメラを受け入れて、ガリレオの禁書をいとしそうに繰りながら、これらをみな修復しなくてはと語った。「神が人間にくれた二つのプレゼントは芸術と科学です」 ともテレビカメラの前で明言している。
兄のゲオルグ・ラツィンガー神父は教会合唱団の指揮者で、B16もピアノを弾く。父の名はヨセフ、母の名はマリア、雪の降る、復活祭の聖土曜日に生まれた。モーツアルトが好きと言いながら幸せそうにピアノを弾く映像も流された。B16を選出した枢機卿会の115人の枢機卿のうち、112人はJP2に任命された人たちだった。B16を含む3人だけが、JP2と同じくパウロ6世によって任命された枢機卿だったのだ。他の112人のうちの誰かが新法王になっていたら、JP3(ヨハネ=パウロ3世)と名乗る義務感にとらえられたかもしれない。JP2は、法王に選出された時、ポーランドの聖地チェストホーヴァの黒い聖母に関わりの深い「スタニスラス」という名を望んだそうだ。しかし、すでに史上初のポーランド法王というショックを与えるのだからそれ以上ポーランドを強調すべきではない、即位後33日で逝去したJP1(ヨハネ=パウロ一世)の後を受けてJP2にした方がいいとアドヴァイスされてOKしたという。その名がこれほどにメディアに刻み込まれた今、B16は、あえて他の名を選んだわけだ。しかも、聖ベネディクトゥスはヨーロッパの守護聖人だ。ポーランド法王の後は、今や世界のカトリックのマジョリティであるアメリカ大陸出身の法王が少なからず期待されていた。それがまた、ヨーロッパ、しかもカトリックと縁が深いがプロテスタントがマジョリティのドイツ、日本と同じく第二次大戦の敗戦国で大きな重荷を背負わされてきたドイツの枢機卿、ヨーロッパの守護聖人の名であり、第一次大戦の収拾に努力したベネディクトゥス15世の後を継ぐベネディクトゥス16世の名を選んだ枢機卿が法王になったのだ。彼がいったいどのような法王になるのか、国際社会にどのようなメッセージを送りどのような役割を果たすのか、当分、目が離せない。
★お知らせ★ 1998年にちくま新書から出した『ローマ法王』が6月25日に中公文庫から再刊される予定です。JP2の葬儀をめぐる新たなコメントもつけ加えたのでぜひご覧ください。