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【大本研究】怪しい人々 大嶋豊 陸軍系工作員?王仁三郎引退を画策
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投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 31 日 14:14:58: Ll6.QZOjNOr.w

(回答先: 【大本研究】怪しい人々 岡田茂吉 世界救世教 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 31 日 13:09:39)

大嶋(おおしま)豊(ゆたか)
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大本〜千葉
 明治三十三年二月二十日香川県高松生まれ、大正九年夏、帝国大学在学中に確信会を通じて大本に入信する。 笹目恒雄(秀和)の紹介から、大正十四年「載天義塾」(後の「善隣協会」)に所属しながら日蒙関係の活動をしていた。 満州事変の折には陸軍の林(はやし)銑十郎(せんじゅうろう)の命で動いて、大陸浪人のような事もしていた。 昭和八年、『竹内文献』を廻る「神宝(しんぽう)奉賛会(ほうさんかい)」の理事を務めており、矢野祐太郎とも面識があった。 大本では「人類愛善新聞社」の奉仕もしていたので、天明とは、この頃から面識があったと思われる。 戦後、天明との交流から麻賀多神社にも来ていた。

 昭和三十二年から三十五年まで東洋大学総長。 同じ頃、世界紅卍字会会長も務めていたが、同じ中国の道院起源の「救世神教」に傾倒した為に、扶乱(フーチ)に拠って小田秀人と共に除名処分になった。

 昭和七年頃王仁三郎引退を画策して事ハンバにて発覚後大本を去り、昭和三十七年当時の大本総長出口栄二氏の追放を三代教主に吹き込んだ張本人。

 その背景には、東西冷戦の時代に道院の扶乱(フーチ)で繰り返し現れる【赤化(せっか)の劫(ごう)】という世界共産化に対しての、激しい警告の預言があった。 大嶋豊は左派の出口栄二氏が大本の総長である事に対して、激しい敵対心を抱いていたようである。 昭和五十三年十二月十六日死去。(注、刊行された『林銑十郎日記』には、満州に於ける大嶋豊の行動が記されている。)

山口昌素(しょうそ)氏より聞き取り 平成十三年
『林銑十郎満州事件日誌』 みすず書房 平成八年
『日本紅卍字月刊』 昭和三十六年
『東洋大学百年史 部局史編』 東洋大学編 平成五年
『神仙の寵児』 笹目恒雄 国書刊行会 平成三年

日本の道院紅卍字会の濫觴と発展
 吾が国に於ける道院紅卍字会の濫觴は、大正12(1923)年、関東大震災に際して、最も速やかに救済の手をさしのべた時に始まる。大本教の出口王仁三郎(道名・尋仁)聖師は大正13(1924)年に道院紅卍字会と密接不離の関係を以て道慈活動に協力せられ、最初に神戸に本邦初の道院を設立し、追って各地に道院を設立したるも、第二次大本事件によって活動が中断した。戦後、林出賢次郎(満洲国大使館書記官、溥儀の通訳)、呉清源(昭和の碁聖)、大嶋豊(東洋大学学長)、笹目恒雄といった修方らの努力により復興成る。笹川良一、五井昌久(白光真宏会主宰者)、倉田地久(神声天眼学会)、安岡正篤なども修方として活躍した。

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道院紅卍字会の沿革
道院とは何か
 中国山東省の浜県の役所内に昔から仙人を祀る大きな祠があった。大正5(1916)年から翌年にかけて、時の県知事、呉福永らが公務の余暇にこの祠に壇を設けて、扶乩(フーチ)という神託法によって神霊の降臨と訓示を仰いで居た。この壇にはいつも尚仙という神仙が降臨され、当時その壇に侍る者たちを弟子として遇せられ、各々が道名を賜り、その対晤の状景はあたかも人間界に於ける師弟の間の如き親密にも似て居た。故に事あれば弟子は輒ち質問し、質問すれば尚仙は必ずこれに答えたのである。そのころの扶乩は多く人に立身処世の道を教えたものであったが、時には時勢を悲しみ世俗を憫れむの神意を現し、其の詩文を以て之を示せるものには惻々として人に迫りこれを読む者をして油然として悲憫の情を感発せしめ、為に幽明境を異にしながら、あたかも謦咳に接するが如く感通するものがあった。当時の訓を挙げてみよう(諸弟子が尚仙のために碑を建てた時に賜る訓)

 吾が為に荘厳して額を営み聯を営み復た碑を営む。諸弟子の虔誠の心、上通して典籙し、仙牒に籍を登す。今より伊(こ)れ始む、爾ら諸弟子、能く再び加うるに道徳を以て世に移教せよ。来たる日に天帝の玄理、今日より勝るもの有り。吾が道の光、諸弟子の幸なり。瀛州遠からず、他年皆な盃酒を共にして之を懽(よろこ)ぶべし。惟だ我が輩は神仙にして達を隠に於て求む、聖賢の事業に比するに非ず。処々名教綱常の中より光明を放つ。吾人は自ら名教有り、自ら綱常有り。楽地仙郷は即ち心田上に在りて光明を放つ。聖賢の間に於て異れるは此に在るのみ。

 或る日、弟子の中に「この宇宙に於ける無形の神霊の中で最も尊い神はどなたですか?」と尚仙に伺いをたてる者があった。尚仙答えて曰く「太乙老人こそが最高至尊の大神である」「その最高神に降臨していただくことはできないのでしょうか?」「あまりにも高貴なるが故に私には降臨を要請することはできないが、若し諸子が本当に虔誠な気持ちでもって降臨を請い願うならば、南極老人に仲介の労をとっていただくべくお願いしよう」と。

 翌日、扶乩によって神霊の降臨を仰いだところ、南極老人がお降りになり「大仙祠に集まる修人は至誠の徒であるから、太乙老人は降って教えを下されるとのことである。精進潔斎して暫く時を待て!」とのことであった。しばらくして太乙老人とご署名された神がお出ましになった。この神こそが最高至尊の「至聖先天老祖」なのであった。ちなみに、「至聖先天老祖」という御神名については、当初、修人は太乙老人に対して日夜奉誦すべき御尊名を頂戴したい旨を申し上げたのだが、太乙老人は「本来名は無い。宇宙根本の炁(キ)だから形も無いのだが、必要ならば皆で命名するが良い」との仰せであった。そこで修人たちは世界五大宗教の教祖たち(釈迦・イエス・マホメット・老子・項先師橐<孔子の師>)に扶乩の壇に於いて命名を願った結果、「青玄宮一玄真宗三元始紀太乙老祖」と尊称し、平素は「至聖先天老祖」と奉誦することになった。宇宙の創造神に坐す「至聖先天老祖」六字の聖号は五教教主の命名によるものであることに注目され度い。

 そして、老祖の訓にて「如何にすばらしき山河があってもそれはたちまちに塗炭の苦しみに変わってしまう。これもまた天数(運命)によるもので、如何んともし難い。下元末期に至れば大災劫が発生する時代に入る」と訓示され、そのうちはからずも、世界の五大宗教の信徒が扶乩の壇に参列するに至り、茲にいよいよ吾が道の最高の経典である『太乙北極真経(たいいつほっきょくしんきょう)』が降ろされた。北極真経が世に降ろされたということは、とりもなおさず、老祖が霊を降ろされ、この腐敗混濁する世を救おうとされる主旨に他ならぬのであり、それを少数の人のみがこれを私有するということは許されない。そこで神示を仰ぎ、扶乩の設けられている場所を道院と名付け、さらに、求修(入会)する者を修方といって道名を賜るようになり、また求修の時の願言を弟子らに起草させてそれを扶乩の壇にてお伺いをたてて、神霊の許可を得てこの時から道院に入る求修の手続きが正式に開始されることになったのである。

 道慈による教化の影響力は目ざましく、一日千里の勢いでたちまちにして、天津、北京、済南などの三院が相次いで成立し、続いて一年のうちに60カ所にも上る道院が設立され、中国全土に四百数十カ所にものぼる道院が設立されたのである。

世界紅卍字会とは何か
 道院が成立した翌年の大正12(1923)年、救済実行組織である世界紅卍字会が成立し、慈業の基礎が此処に築かれた。道院は内功を修め、紅卍字会は外慈を遂行する機関である。内功と外行は二にして一、一にして二なるもの(連帯関係)にあって、道院と紅卍字会が分離できぬ所以である。世界紅卍字会の字義について、扶乩の壇訓によれば、「世界」とは即ち宇宙であり、過去現在未来であり、三千大世界を現す。「紅」は、広大、色の最上なるもの、赤心、赤子の心、空・公・誠にして無私の意。「卍」は吉祥万徳の集まる意で、万に通ず。「字」は愛の意。尚書に曰く「父不能字厥子」。また、左伝に曰く「其肯字我乎又字民」と。故に、紅卍字の三字は「誠を以て衆生を愛す」と解する。「会」には数義あって、一は集合の意、二は運会の意、三は解悟の意、四は応の意、五は適の意、六は時の意である。

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