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(回答先: ベネディクト16世は大量消費主義を批判した。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 30 日 18:41:45)
ワヤクチャさん こんにちは。
>この新法王の「大量消費主義批判」を皆さんはどう見られますか?
昨日のベネディクト16世のミサには、3つの’初’がありました。
・初のバチカン外ミサ
・初のパパ・モービレ使用(防弾ガラスに覆われた教皇専用車両)
・そして武装スイス傭兵初の国外同行(スイス訪問時を除く)
個人的には最後が少々ひっかかっておりますが、それはさておき、「日曜の
意味を考え直す」で始まった昨日の説教は、教会離れを商業主義を批判する
ことでかわす意味合いがあった?・・・と単純に考えていました。
欧州の幾つかの国では、日曜・祝日の商業活動は原則お休みです。
イタリアを例にとりますと、少数の例外を除き商業活動は原則禁止。
開けるためには市町村に違約金を収めることになっていますので、おそらく
従業員の回転勤務が効き、かつ売り上げが充分見込めると判断した
大型ショッピングモールや終日営業のファースト・フードレストランなどが
郊外を中心に営業を開始したごく最近まで、日曜に開いているのは観光客相手の
土産物店やレストランのみといった感じでした。
典型的な祝日の過ごし方。午前中はミサに出かけ、午後は親戚や友人を訪ねあう。
行楽はハイキング、スポーツ、サッカー観戦といったところでしょうか。
(蛇足ながら、ローマ、ミラノに軒を連ねる高級老舗ブティックは未だ閉店を
続け、遊園地・テーマパークの類は希少であり、昼夜営業のコンビニは
まだ上陸していません)
ベネディクト16世の説教の要旨は、以下のようなものでした。
「我々を取り巻く世界を霊的観点でとらえると、キリスト教徒にとっても生き
易いとはいえない。しばしば抑制の効かない商業主義、宗教的無関心、世俗主義
が超越する世界は不毛の砂漠に見える」
「休日の教えは外から課されるものではなく、キリスト教徒の義務であるべき
である」